外灘はのんびりと散歩をするようなつもりで歩き、上海の雰囲気を味わおう。 昼に時間がたっぷりある場合は、まず外白渡橋―「黄浦公園(Huang
pu gong yuan)」―黄浦江岸の遊歩道―「十六鋪(Shi liu pu)」と歩いてみよう。
外白渡橋は1907年の完成で解放前はガーデンブリッジと呼ばれた。租界時代にはこの橋より北側は日本人居住が多かった場所で、この橋を北側から南側へ渡ると一気に欧米的雰囲気の広がる地域に変わったという。この橋の下を流れるのは汚染河川として悪名高い蘇州河である。上海市はこの川の浄化を急いでおり、これでも数年前に比べればずいぶんきれいになったようだ。この橋の黄浦江側の青い建物はロシア総領事館。解放前もロシアが総領事館として利用していた建物である。解放前の日本総領事館もこの一画にあった。反対側にそびえる茶色のビルは1934年に完成で、現在は上海大廈(ホテル)、解放前はブロードェイ・マンションと呼ばれた。イギリス人の管理職が居住していたという。
黄浦公園には、中華人民共和国建設に貢献した人々を記念する人民英雄記念碑がたつ。この公園は解放前はパブリックガーデンと呼ばれ、外国人専用であった。
ここから黄浦江沿いの遊歩道を南下しよう。左手に並ぶ古いビルは、租界時代の建築物である。解放後も人民政府により利用され、すくなくとも外観は当時そのままの姿を保っている。
右手の黄浦江は、上海市を二部して北(後方)へ流れ、長江と合流する長さ84kmの川。この川の両岸及び長江岸の外高橋保税区岸が上海港と呼ばれ、3万トン級の船が出入り可能な国際河川港である。上海港のコンテナ取扱量はは中国で一位、世界でも十二位の規模を誇る。なおさらに大きな船は上海から南西約250km程度(直線距離では150km程度)の寧波を利用している。 黄浦江の対岸には、浦東新区陸家嘴金融貿易開発区の高層ビル群とアジア一高い東方明珠タワーが望める。
南京路と交わるところには、上海市の初代市長である陳毅の銅像がたつ。陳毅は1949年5月28日に上海市長に就任した。彼は国民政府との内戦で混乱した経済の立て直し、貧困対策、伝染病の駆除等の社会問題の解決のため不眠不休で取り組み「人民の市長」として上海市民の大きな支持を得たという。
十六鋪のすぐ手前に煙突のような建築物があるが、これは外灘史陳列室である。古い外灘の写真が収められているのでちょっとよっていこう。この建築物は、租界時代にはマストのような部分に旗がつけられ、黄浦江を行き交う船に天候などの情報を伝えていた。
十六鋪から、歩道橋を超え中山東路の対岸に出たならば、中山東路を北上しよう。ホテルや銀行などいくつかの建物は自由に入ることができるので、ちょっと中を覗けば70年前にタイムスリップした気分になれる。ケンタッキーフライドチキンの看板がある東風飯店に入ると、古い映画の中でみるようなエレベーターがある。
中山東路を北上していくと、途中福州路と交わる。今は特に特徴のない道だが、解放前は[スマロ(四馬路)]と呼ばれた。あの「夢のスマロ」である。昔は香水の香りの漂う上海一の風俗ストリートであったという。
さらに北上すると南京路に出るので、そのまま南京路を散策するか、南京路から一本北の道を左に入り友諠商店へ行くのもいいだろう。
|