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「胡錦濤主席訪日の成果と、日中関係の課題」=川村範行氏
2008 -5 - 19 15:30

川村範行

(日中関係学会理事、東京新聞・中日新聞前論説委員、中日新聞社出版部長) 

 はじめに中国四川省で発生した大地震により、多くの中国人の方が犠牲になり、被害を受けられたことに対し、心からお見舞いの意を表します。一刻も早く、行方不明の方々が無事救出され、被災地の皆さんが復興に向けて立ち上がられることをお祈り申し上げます。日本は1995年に6000人以上の犠牲者を出した阪神淡路大震災の苦難を経験し、また地震国としての科学的防災的なノウハウを蓄積しており、中国四川省大地震の被災地に対して貢献できるところが多くあります。特に、建物の下敷きになり生き埋めになった人たちを救出する技術、その後の病疫対策、インフラ復旧体制など、一刻を争います。これこそ、胡錦濤国家主席と福田康夫首相との間で合意した「戦略的互恵関係の包括的推進」の緊急プロジェクトとして、日本側が早急且つ積極的に提案し、中国側も早急に受け入れ態勢を整備することを建議(提案)します。

*この原稿を書いた後で、日本の救助隊の受け入れが決まりました。日本は困難に直面している中国を助け、中国との連携を深めていくことを祈ります。

一、総論 胡錦濤国家主席の「暖春の旅」は基本的に成功裡に終わったといえる。胡錦濤主席が2008年5月6日から5日間、日本を訪問し、福田康夫首相との首脳会談により「戦略的互恵関係の包括的推進」について日中共同声明を発表したことは、日中関係の歴史に刻まれよう。日中両国の将来に向けた「平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展」(日中共同声明)の枠組みを確立しただけでなく、「日中両国がアジア太平洋地域と世界の平和、安定、発展に大きな影響力と厳粛な責任を持っている」(同)との認識を共有したことは極めて意義深い。これは日中両国が従来の二国間関係から国際社会における日中関係になったことを外交文書で認め、日中両国が歴史上初めてアジアの大国同士としてアジア及び国際社会の中で協調と貢献を果たしていくことを宣言するものである。

 06年10月の安倍晋三前首相による訪中「氷を砕く旅」、翌年07年4月の温家宝総理による訪日「氷を溶かす旅」、さらに07年12月の福田康夫首相による訪中「迎春の旅」に続く、胡錦濤主席の訪日「暖春の旅」がもたらしたものは大きい。今後の日中両国の戦略的互恵関係の推進は、それぞれの国内問題への対応とも関連し、双方の協力と協調にかかっている。将来的には両国民間の相互不理解・相互不信につながる国民感情の改善、及び排外的ナショナリズムの克服、根本的にはそれと密接不可分の戦後和解への本格的な努力が課題となろう。

二、日中共同声明の意義 胡錦濤主席の訪日は、日中関係の新たな枠組みである「戦略的互恵関係」を包括的に推進する方向で合意し、将来に及ぶ日中関係の枠組みと方向性を確立したことが大きな成果である。

1、戦略的互恵関係の将来方向化 安倍前首相と胡錦濤主席の首脳会談により小泉純一郎元首相の靖国参拝問題などで冷え込んでいた日中関係の「局面転換」を果たすことに成功、日中関係の新たな枠組み「戦略的互恵関係」に合意し、国交正常化以降、日中関係を表すキーワードとして使われていた「日中友好」から新しい時代へと移った。温家宝総理が日本を訪問し、安倍前首相との首脳会談などを通じて戦略的互恵関係の中身を固めた。さらに、福田首相が訪中し、戦略的互恵関係の発展を推進することで合意した。今回の胡錦濤主席の訪中はこうした首脳往来を安定軌道に乗せるとともに、戦略的互恵関係の将来方向を決定づけたととらえることができる。 

2、最も重要な政治文書 今回の日中共同声明は、1972年の国交正常化に伴う日中共同声明、78年の日中平和友好条約、98年の江沢民主席訪日に伴う日中共同宣言を「日中関係を安定させ、未来を切り開く政治的基礎である」と位置づけ、それらの三つの文書の諸原則を遵守すると表明した。さらに、2006年10月の安倍前首相の訪中、2007年4月の温家宝総理の訪日に伴う日中共同プレス発表の共通認識を堅持することを確認した。つまり、今回の共同声明は日中関係の「第四の文書」であるとともに、これまでの三つの文書と最近2年間の首脳会談の日中共同プレス発表をすべて包含した、日中関係を規定する包括的且つ最も重要な文書であるといえる。 

3、世界の中の日中関係 日中両国は「互いに協力のパートナーであり、互いに脅威にならないことを確認した」とうたい、「日中関係を世界の潮流に沿って方向付け、アジア太平洋及び世界の良き未来を共に創り上げていくことを宣言した」。これは日中両国が対立でも競争でもなく互利互恵の「パートナー関係」であると明確に定義し、世界の中の日中関係の時代に入ったと位置づけた。 

4、国家路線の相互評価 共同声明は「日本側は中国の改革開放以来の発展が日本を含む国際社会の大きな好機をもたらしていることを積極的に評価し」、「中国側は、日本が戦後60年余り、平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段により世界の平和と安定に貢献してきていることを積極的に評価した」とうたった。中国の改革開放政策と日本の戦後平和路線をお互いに明確に評価したことが特筆される。これは2007年4月の温家宝総理訪日の際に首脳会談や国会演説で述べた日中相互評価を、今回外交文書で明確に記したことに意義がある。 

5、対話協力の枠組み (1)政治的相互信頼の増進として、毎年一回の首脳相互訪問の実現、安全保障分野のハイレベル相互訪問の強化をうたったことは大きい。(2)青少年間の相互理解と友好感情の増進、多種多様な文化交流・知的交流の実施を強調したことは、国民レベルでの相互理解の基礎を強化することになる。(3)環境・エネルギー分野での互恵協力、日中ハイレベル経済対話の活用などをうたったことは、実利的なパートナー関係の促進に役立つ。(4)北東アジア地域の平和安定のための六者会合のプロセスの推進、東アジアの地域協力の推進を明言したことは、アジアの二大国としての責務を共有するとともに東アジア共同体を巡り対立しないことを確認した意味を持つ。(5)グローバルな課題への貢献として、気候変動に関する国際枠組みの構築に積極的に参加することをうたったのは、評価できる。日中共同声明と同時に「気候変動に関する共同声明」を発表し、戦略的互恵関係を実際の行動へと移すための方策について合意したことは、日中両国の思惑の相違が残ったとしても前進といえる。

6、普遍的価値の追求 政治的相互信頼増進の項目の中で「国際社会が認める基本的且つ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力する」とうたったことは注目される。日中両国は1972年の共同声明で「社会制度の違いがあるにもかかわらず両国は平和友好関係を樹立すべきである」と表明し、国交正常化を果たした。その後、中国は改革開放政策を採り入れてきたが、民主、人権などの普遍的価値については「中国の国情」を理由に受け入れを拒んでいる。チベット騒動などを巡り国際社会からの中国批判もあり、今回の共同宣言で日本側が中国側に対して普遍的価値の受け入れを間接的に促し中国側も同意したことは重要だ。

三、早稲田大学での講演の意義 胡錦濤主席が早稲田大学で行った講演は、中国の国家主席が21世紀に入り日本の大学生と日本国民に向けて伝えた本格的なメッセージとして評価されよう。 

1、反覇権の宣言 胡錦濤主席は中国と日本の悠久交流の歴史から説き起こし、中国の艱難辛苦の近代化の歴史、改革開放の経過と現状を率直に説明し、中国近代化の過去・現在に理解を促した。また、中国が将来「平和発展の道を歩む」ことを表明しただけでなく、中国の指導者として「防御的な国防政策を採り、永久に覇権を唱えない」ことを明言したことは重要だ。1972年の日中共同声明や78年の日中平和友好条約締結の際に対ソ連政策の上で周恩来やケ小平が「反覇権」を主張し盛り込まれたことが著名だが、21世紀に入り国際社会で重要な地位を占めた中国の指導者が反覇権・覇権放棄を明言したことは重要だ。米国の一極支配に対抗する上で意味がある。また日本の相当数の国民が懸念する中国脅威論を和らげる役目をも果たす。 

2、歴史認識の未来志向化・平和化 先の日中戦争について胡錦濤主席は「中華民族に多大な災難をもたらしただけでなく、日本国民にも大きな被害を与えた」と指摘し、加害者、被害者双方の意識のバランスをとる配慮を明確に示した。敏感な歴史認識について「我々は歴史を銘記することを強調しているが、恨みを抱き続けるためのものではない。歴史を鑑として未来に向かうためだ。平和を守るためであり、日中両国民が子々孫々にわたって友好的に付き合い、世界各国人民が平和を享受するためのものである。」と、未来志向、平和護持の目的性を掲げたことが特筆される。江沢民主席が1998年に訪日したときには、「日本側は中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、深い反省を表明した」(日中共同宣言)との立場から、日本側に反省と責任を求めた発言が目立ち、日本の国民感情に微妙な影響を与えたことは否定できない。今回はその教訓を生かして、歴史問題を日中間の政治外交上の大きな障害にしないとの日中外交当局間で共通認識が確立したのと、胡錦濤政権の対日政策、及び胡錦濤主席自身の歴史観を反映したといえる。 

3、日本民族の評価 胡錦濤主席は日本国民の特性についても言及し「日本国民は創造力にたけており、勤勉で英知と向上心に富んでいる」と評価し、「明治維新以降、アジアで最初の近代国家に発展させた」と指摘した。さらに「製造業や情報、金融などで世界をリードし、世界一流の省エネと環境保護技術を有している。これは日本国民の誇りであり、中国国民が学ぶべきものである」と、日本の優秀性と中国にとっての模範性を明言した。中国の指導者が戦後、これほど日本民族の特性と日本の優秀性を率直に評価したことはなかったといえる。日本国民にとっては何よりも心を動かされる演説であった。 

4、胡錦濤主席の早稲田大学での演説は2006年4月の訪米のとき、胡錦濤主席がブッシュ大統領の母校・エール大学で演説した内容と構成・趣旨がよく似ている。このときも、中華民族の歴史を丁寧に説明し、中国近代化の歩みを語り、今後の中国が平和的発展の道を歩むことを強調した。私はその後、07年9月に北京で開催された中国社会科学院日本研究所主催の日中国交正常化35周年記念シンポジウム、及び07年11月に上海で開催された同済大学アジア太平洋研究センター主催の日中国交正常化35周年記念シンポジウムで、胡錦濤主席が訪日するときには是非、福田首相の母校、早稲田大学で講演し、日本の学生と一般国民に向けて中国の現状と今後の歩む道について率直に語りかけることを建議した。即ち、日本国民の間で増えている反中感情、嫌中感情を和らげるためには指導者自らの口から日本国民に向けて真剣に理解を求めることが必須であるとの考えからである。できれば胡錦濤主席にはチベット問題での見解を自ら披露して欲しかったが、極めて敏感な問題だけに避けたことは致し方なかろう。今回、私は胡錦濤主席の早稲田大学での講演が実現したことを心から喜び、その内容にも概ね満足している。

 四、日中関係の当面の課題と対応

1、当面の課題 東シナ海ガス田問題や中国製餃子中毒事件については、今回の首脳会談を通じては最終的な解決には至らなかったが、進展はした。日本の一部マスコミは、こうした個別の問題の未解決を殊更問題視しているが、大局と客観性に欠ける見解であり妥当ではない。首脳会談は両国の基本的・大局的な方針・方向について話し合うのが本筋であり、個別の案件に深入りするのは時間的にも限界があり、あとは外相会談や実務協議に委ねるのが一般的である。 

(1)東シナ海ガス田問題 両首脳は「大きな進展があり、解決のめどが立った」との認識で一致した。福田首相は「細目を詰めて合意に至りたい」、胡錦濤主席は「解決への展望が見えてきた」とそれぞれ前向きな表明をしている。日本側が主張する中間線と中国側が主張する大陸棚理論とはかみ合わないが、領土領海問題を棚上げにして共同開発という面で譲歩できるめどがついたといえる。中国側は軍やネット世論などへの配慮が必要で、慎重な時間を要するものとみられる。日本側は自民、民主両党の保守派、反中派を中心に問題解決引き延ばしへの不満が高まっており、福田政権は国会や国民向けにも丁寧な説明が必要となる。

(2)中国製餃子中毒事件 福田首相は記者会見で「断じてうやむやにできない」と真相究明の意思を表明し、捜査協力を要請した。胡錦濤主席は「食品の安全に関わる問題だ」と重要視しているが、残念ながら展望が見えてこない。両国の捜査当局同士の信頼関係を早期に回復し、捜査資料の交換などを進めていく必要がある。北京五輪以降に解決を先送りするなら、日本の消費者の間で中国食品への不信感が一層募るだけでなく、中国への不信と反発が募り、国民感情の悪化につながる心配がある。

2、排他的ナショナリズム

(1)中国側 チベット騒動と五輪聖火リレーを巡り内外の中国人が一致結束し、「中華民族団結」「フランス製品ボイコット」「西側メディア攻撃」の大合唱が拡大した。こうした排他的ナショナリズムは、2005年の反日デモなどとも底流でつながっている。ネット世論の過激化も含めて、中国政府は今後排他的ナショナリズムのコントロールに腐心することになろう。 

(2)現代日本のナショナリズム 一般的な日本人は、軍事覇権の意図など捨てて平和を生きてきただけなのに、なぜアジアへの贖罪意識を何時までも指摘されねばならないのかという疑問と反発が意識の中にある。加えて、中国が急速に経済発展し日本と対等なプレーヤー、競争相手として台頭してきたことへの反発と恐れがある。小泉元首相時代には毎年靖国参拝を強行し、「中国や韓国の反対に屈するな」と声高に叫び参拝を継続するたびに、民衆レベルでも共感を呼び、排外的ナショナリズムをますます高める結果になった。こうした反中、嫌中意識は1990年代後半から蓄積されており、今後も日中間で様々な摩擦が起きる度に顕在化している可能性が高い。政府・政治指導者は徒に国民の排外的ナショナリズムを煽ることのないように、細心の注意を払う必要がある。

(3)国民感情の改善 胡錦濤主席の訪日目的は戦略的互恵関係の強化とともに国民感情の改善にあった。早稲田大学における講演内容のほか福原愛選手との卓球パフォーマンス、日本語による挨拶、パンダのプレゼントなど胡錦濤主席の努力の跡が伺われ、柔らかいイメージで日本国民に好感を持たれたことは間違いない。だが、指導者レベルのパフォーマンスだけでなく、国民レベルでの様々な交流のチャンネルを増やし、相互理解の促進を図る必要がある。

3、戦後和解への努力 

(1)日本人の間では戦争体験者が高齢化し、戦争の悲惨さを後世に伝えることや加害者意識の継承が困難になってきている。加えて、日中戦争や太平洋戦争について▽日本はやむ終えない戦争であった▽アジアの被植民地を欧米列強から解放する戦争であったーなどと正当化し、侵略戦争と認めない傾向が、若手の保守政治家や有識者の間で顕在化している。朝鮮半島や台湾での植民地支配に対してもインフラ整備や教育制度の確立などの「功績」を強調し、植民地支配を正当化する言論風潮が一部に現れている。日本人の潜在意識下には明治維新により急速に近代国家を確立した日本が、「脱亜入欧」の国家路線とともに中国や朝鮮半島などに対する優越感を抱き、アジア蔑視につながる意識を蓄積させたことにさかのぼる。

(2)根本的には日本側を中心とした戦後和解への取り組みが必要となる。そのためには、かねてから私が主張しているが、独仏両国が戦後和解のために1963年に締結したエリゼ条約を参考にしたい。条約では@毎年2回の政府首脳交流A主要閣僚の毎年数カ月ごとの定期協議B外交重要事項の事前協議C毎年15万人規模の青少年交流などをうたった。このうち@Aについては、今回の胡錦濤主席の訪日による日中共同声明にほぼ基本的な内容が盛り込まれたことが評価できるが、今後@Aとも回数を増やすことが望ましい。また主要閣僚の定期協議を増やし、さまざまな政策テーマについて共同取り組みを増やしていくことが必要だ。Cについては本格的な高校生2000人相互交流が2006年から始まり、今年は3000人規模に拡大されるが、今後さらに万単位への規模拡大を求めたい。

 このほかに、宗教者の交流を定期化することを提言したい。日中双方とも相手国の実情について理解不足による報道がある。相手国の国情を理解するために年間1千人規模の記者交流を提言したい。特に中国地方紙の記者派遣は「百聞不如一見」で効果的である。また、歴史認識の共有化を図る努力が必要だ。日中歴史共同研究が06年12月からスタートしたが、将来的にはドイツが周辺国との間で根気よく協議し作成した歴史共通教科書を手本に、日中間でも共同作成した歴史教科書(副読本)の学校での使用を拡大することが望まれる。

 胡錦濤主席は東京での公式活動を終えた夜、中国側随行団に「国内問題を抱えて大変なときだが、対日関係を重視する」と語ったとされる。この言葉に象徴されるように、胡錦濤主席の訪日は中国政府の対日重視を推進する極めて重要な旅でもあった。戦後フランスが大きな心を持ってドイツを許した。ドイツもこれに応えて政府首脳自ら被害国に許しを請い、和解と理解を得るためのさまざまな施策や取り組みを続けた。日中両国も中長期的には仏独のこうした姿勢と取り組みに学ぶべき点が多い。今回の胡錦濤主席の訪日は、日中戦後和解への本格的な一歩としたい。   

【川村範行略歴】

 1974年、早稲田大学政治経済学部卒業後、中日新聞社入社。編集局社会部、外報部各デスク、上海支局長(1995年―98年)などを経て、2003年から東京本社(東京新聞)論説室論説委員。07年6月から名古屋本社出版部長。日本中国関係学会理事、同済大学亜太研究中心顧問、鄭州大学亜太研究中心客員研究員、北京城市学院客座教授。著書に「日中関係の未来を築く」「アジア太平洋地区と日中関係」(ともに上海社会科学院出版社刊、共著)。

 
 
 

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