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中国における日本の本当の存在(二)
2008 -5 - 15 15:33

広範だが、あまり深く入り込まない

 21世紀の中国で、日本文化は最も売りに値する文化商品の一つである。陶磁器のバス用品、ゲーム機からわさびまで、日本の商品はいつも生活様式にくっついて、中国の亜文化の生成を促していた。2007年、中日両国の貿易額は2366億ドルにまで達したが、それは817個の鳥の巣のスタジアムに相当する。中日両国のいかなるデパートも、相手からの商品を不足させることはできず、これらの企業は同時に互いに関連している。日本の百貨店企業の中国での市場占有率は、最近はある程度弱まっている。しかし、生活様式上の影響は依然としてはっきりしている――ウォルマートでショッピングする人々はいろいろだが、「最もファッショナブルと言えるデパート」の伊勢丹の顧客達は、はっきりした一致性を持っている。

 資生堂の化粧品は、中国の若い女性に深く受け入れられて、「欧珀莱」は同等の名誉を得ることはできない。実は両者が同じ会社が作っているのだが、ただ表面的に、日本的な感じの多寡のだけのため、中国の消費者の選択を決定した。「日本流」は青少年の中だけに限らない。大連と青島で、日本語は多くの学校で第1外国語とされている。日本料理店は、全中国の都市で多く広く分布していて、蘇州のハイ?テクノロジー区の「日本街」で日本料理を楽しむ中国人客は、少なくとも日本人の2倍である。

 今のところ、中国は日本の一番の貿易相手国で、日本は中国の二番目の貿易相手国である。しかし、さらに正確な経済の依存度の指標として、両国の相互の投資額を高めるにはまだ余地がある。日本の中国に対する直接投資額は、海外投資総額の2%前後を占めにすぎない。

日本の貿易振興機関(JETRO)の報告によると、日本は2007年の中国大陸への投資額は62億ドルで、明らかに台湾の「経済部」が発表した台湾地域の中国大陸の投資額の99.71億ドルより低い。対比して見るべきは、日本の香港への投資が76.8億ドルに達したことである。

中日の付き合いの特色の一つは、経済、文化がその他の国際往来の中の「独走」のようではなく、それらはいつも深刻に政治と関連する点である。2006年、日本の中国に対する投資が初めて4億ドル減ったが、それは両国関係が膠着した局面になったためだ。元首相の小泉純一郎氏が靖国神社への参拝に固執したことは、両国の歴史問題の暗い面を浮き上がられたため、経済や文化の交流に寒風が吹いた。

日本の中国での経済活動が順調ではない一つの著しい例証は、世界で有名な日本の自動車業の中国での発展が欧米より遅れている点である。一方で、東南アジアに投資した日本企業はだんだん多くなった。前任の中国駐在公使の井出敬二氏は『南方周末』に「ベトナムの物価は安く、ベトナム人は日本に好感を持っている。日本企業はそのため、ベトナムに投資すること選んでいる」と説明した。

政治、経済の「気候変動」に対し、文化面の日本の絶え間な流れは36年続いている。「私の兄弟子は小さい時に『ドラえもん』を見て、私は小さい時に『名探偵コナン』を見た」と、北京冷山漫画社の劉靖瑶氏は言った。今のところ、一般に40歳以下の中国人のほとんどは、少年時代に、どんな日本アニメ?漫画に接触したかによって、区分することができる。

しかし、中国の若い人の日本に対する態度は、ただ好きなだけではない。「どのように今日のこのような複雑な中国を理解するか」。小野千重子さんは質問した。かつて日本の国際協力隊のメンバーとして北京、安徽などで約3年働いた経験がある。

安徽省で、隊員は希望学校を建てて、ボランティアを担当した。阜陽市潁泉区楊荘小学校で、同僚の水谷準さんはいつも困惑していた。どうして校舎はそんなに古いのか、現地の市役所はなぜ豪華なオフィス・ビルを建て始めたか。水谷さんは、『産経新聞』に調査レポートを発表し、日本の読者はまた中国に「悪意」を持った。この事件の中で、最も軽視された点は、日本側がやはり最後に楊荘小学校に8万ドル以上の援助資金を寄付したことだった。

北京西単地下鉄の入り口で、時々、若い民族主義者が道で、「日本製商品を排斥すべき」という白布を敷き、ギターを弾いて人々の注意を引きつけている。劉靖瑶さんも、ここに立っていた。周りにいた若い人は東京から来たそうだ。

しかし、中国における日本の文化は広範だが、あまり深いものではない。1990年代、中国の本屋の中で、日本企業に関する出版物は人気のあるものではなかった。17世紀、有名な作家の井原西鶴の小説『好色一代男』はランキングに入ったが、より重要な作品、商業生活についての『日本永代蔵』『世間胸算用』は、中国の各本屋の本棚に現れていない。町人の倫理は、日本の商業は、武士道とは別の元気の源ではあるにもかかわらず。

日本に対する研究はあまり深くないことは、中国の日本学者達の長くて苦しい悩みだ。有名な学者の周一良氏は亡くなる前に、残念な様子で「私は政治的な必要性のため、日本歴史での限りある時間を、すべて友好関係と文化交流に投入した」と語った。

(実習編集 宣少一)

 
 
 

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