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双方向から見た ――細部にわたる中国と日本
2007 -7 - 4 16:00

 『文藝春秋』85周年記念特別号の文章の中で秦嵐さんは、私たちにさまざまな面における、日本社会に対する理解を紹介してくれた。例えば、どういった人物が日本人の胸の内に残る優美な女性なのか、日本人は歴史や戦争をどのように見ているのか、また未来をどう展望するのか・・・それは、私たちにより一層『文藝春秋』の編集者の真剣な取り組みや、日本人の危機感を認識させてくれる。本郷さんの文章の中では、今日の北京、そして中国に関するある種の印象について書かれていた。本郷さんの北京の今昔、または北京と京都・大阪についての比較にしても、それらの内容が私たちに教えてくれるものは実に多い。

 

  中国に対する印象 

 本郷真紹/文  呉 恵伊/編集
 

 今年の3月の末に、私は機会があって再度北京を訪問した。前に北京を訪ねたのは、1995年の夏のことである。しかし、今日の北京は11年半前に比べると、全面的に変わっており、私を驚かせた。私が初めて北京を訪ねたのは1985年の夏のことで、次いで1994年の秋にも、通りがけに立ち寄ったが、その時は特に9年間の変わりを感じることもなかった。だが、この度の訪問はまるで今までに一度も足を踏み入れたことのない国、はたまたまったくの別世界にいるかのような印象を受けた。

 20世紀80年代から90年代の北京は生気に満ち溢れていて、「活気溢れんばかりの街」と形容しても過言ではなかっただろう。忙しそうに行き来する人の群れや、自由自在にあちこち走り回る自転車、また人の波と自転車の間をすり抜ける自動車など、それらすべてが相互に混じり合い、まるで「生」の力を謳歌するかのようだった。だが、この「動の世界」と比較して、私がより一層興味を抱いたのは歴史的建築物である。故宮、天壇などの歴史的遺跡は言うまでもなく、また一般的な庶民の家屋でさえも、数百年もの悠久なる歴史が一点に凝縮したかのように思えた。「動」と「静」の相対的な対比が、深く私の心を揺れ動かした、これが、当時私が感じた北京の印象である。 

 もちろん私たちの異国に対する印象は、少しの例を除いて、そのほとんどは個人の生まれ育った地域や環境と照らして比較することが主である。なぜならば、私の北京に対する印象は、もっぱら日本と私の生活の場である大阪や京都を基盤とした比較に過ぎないからだ。当時の大阪は、街全体に「動」がはびこっていたと言えよう。建物の様子も数年間ですっかり変わってしまい、人々の装いも多種多様に激しく変化した。商業の大都市である大阪は、まさに「時は金なり」の諺の如く、東京と並んで日本で象徴的意義を持つ、生活テンポの著しい大都市である。ところが京都は、東京とは逆に「静」に包まれた楽園であるかのようだ。寺院など、多くの歴史的建築は言うまでもなく、一般家庭の住宅でさえ、歴史の中に溶け込むかのようで、行き交う人は悠々と自信ありげな様子で、伸び伸びとした生活を送っていた。これほど近く、一時間足らずで往復できる大阪と京都だが、互いの相反する性格を、はっきりと体現している。現在これらの区別は、表面的にはもうほとんど直覚では体得できにくくなってしまったけれど、それらの「気質」は依然として残されている。

 大阪と京都のこれら二つの「気質」は、昔の北京では蓄積されていた。ただ残念なことに、私がこの度北京を訪ねた際には。北京は瞬く間に大阪のように変身し、念入りに守られてきた歴史の遺跡は、そのほとんどが整理・修復され、観光客を賑わせる場所となった。幾年かの年月を経て、歴史の遺跡はやむを得ず古びてしまうが、しかし、そうした古風な感じがさらに私たちを引き付け、魅力を感じさせるが、修復された精美なる方が却って人の心を満たすものではない。もしかすれば大勢の旅行客にしてみれば、やはり後者の美の方が望まれるだろう。この他、公共施設も10年前には想像もしえなかったほどに面目一新した。バスや電車のホーム、道路の脇などでは、しばしば清掃員の姿も見られ、またかつて中国の特徴の一つに数えられていたトイレも今は清潔なだけでなく、日本、欧米諸国の最新設備と比較してもなんら見分けがつかないほど機能が完備している。中華料理も、その独特な味わいの良さから世界に名だたる料理として知られ、以前言われていた衛生問題も今は根本的に改善された。以前は一歩大通りから離れ路地に入ると、そこには、旧式な家屋が並んでいたが、今ではそういった場所もほとんど残っておらず、すべて現代風の建築マンションに改築された。 

 交通ネットワーク?オフィスビル?商店街?レストランなど、今日の北京のすべてが都市の発展により、どの外国の現代都市と比べても少しも遜色が見られなくなった。ここ数年の中国の高度成長により、来年度のオリンピック開催もさながら現代化の発展の速度からしてみれば、当然なことなのかもしれない。そのため、これから北京を訪ねる多くの人が「名残を惜しんだり、また未練が残って立ち去りがたくなり、帰宅の時間をも忘れてしまう」「再度この地を訪れたい」などの思いを持つだろう。 

 今日の北京、または中国で開通している道路を見ると、私はつい1960年から1970年代の日本が通過した歴程を思い出す。私の少年時代の日本は、まさに大変革の真っ只中で、まるですべてのものが一夜の間に取って代わるようであった。生活が贅沢かつ便利になり、都市は猛烈なスピードで現代化し、設備もすべて整っていった。日本と同時期のそのころの北京は、今日の北京と同じく、大気汚染や騒音に当惑していた。幸い日本は即座に環境保護に当たり、徐々にそれらの問題を克服していった。もし中国も同じ措置を取っていくならば、きっと北京にも青空が戻ることだろう。 

 何が変わった?すべてが変わった――――北京、中国。人々が目を見張る発展速度の裏には、人文学の観点から日本の歴史を考察する私がいて、まるで北京がある意味では日本に似たような、さらに日本に対するもやもやとした憂鬱間をも超えたとすら言えよう。これは私一人が感じているノスタルジアなのだろうか?

(筆者・立命館大学副学長、日本歴史教授)

 
 
 

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