万博は人間が社会、経済、文化と科学技術領域で得た業績を展示する国際博覧会である。1851年の第1回万博からこれまで、150年以上経っている。中国と万博の歴史は古く、新中国は1982年から12回、万博に参加した。万博という大きな舞台を通じて、世界に中国の悠久の歴史文化と改革開放の新しいイメージを展示している。
以下は新中国のこれまでの万博出展情況である。
1982年5月1日―10月31日:「エネルギーは世界を推進する」をテーマとした万博が、米国テネシー州ノックスビル市で開催された。中国館は太陽エネルギー湯沸かし器、太陽炉、太陽エネルギー航路標識灯、太陽エネルギー電気柵、メタンガス利用及び様々な工芸品などを展示した。展示物の中で新エネルギー技術、長城のレンガ、西安で出土した秦の兵馬俑と中国の民族特色がある工芸美術品はセンセーションを巻き起こした。
1984年5月12日―11月11日:「世界の川、淡水―命の源」をテーマとした万博が、米国ルイジアナ州ニューオーリンズで開催された。中国館は主に中国古代と現代の水資源が開発と利用の情況と業績を紹介した。中国古代と近代の水利資源開発の文物写真、複製品、模型、中国軽工業製品、織物、手芸品、秦の時計と秦の碑などの文物を展示した。
1985年3月17日―9月16日:「居住と環境―人間の住宅科学技術」をテーマとした万博が日本の筑波市で開催された.中国館は中国古代と現代の科学業績と民族的特色のある様々な文化と生活用品を展示した。
1986年5月2日―10月13日:「世界は運動し、世界は交流している」をテーマとした万博がカナダのバンクーバーで開催された。面積1800平方メートルの中国館は、中国の古代の代表的かつ民族特色がある交通と通信ツールを展示した。
1988年4月30日―10月30日:「技術時代の娯楽」をテーマとした万博がオーストラリアのブリスベンで開催された。中国館が展示したサーカラマ『中国の概観』は大いに歓迎された。中国館は5つ星展示館と最優秀外国館に選ばれ、中国が世界博覧会に出展して以来の最高栄誉を獲得した。中国館には500万人の観衆が訪れた。この万博期間で訪れた観衆が一番多い国家館になった。
1990年に日本の大阪で開かれた世界園芸博覧会に出展した。
1992年4月20日―10月12日:「発見の時代」をテーマにした万博が、スペインのセビリア市で開催された。中国の展覧物の中には四大発明、前漢の渾天儀と後漢地震計の模型、指南匙、指南車、指南亀、指南魚と秦の兵馬俑などがあった。近代ハイテク展示物の中では、西昌ロケット発射塔の模型、長征2号、3号、4号と長征2号連結タイプのロケットなどがあった。中国館は五つ星展示館に選ばれた。
1992年5月15日―8月25日:「コロンブス:船舶と海洋」をテーマにした万博が、イタリアのジェノバで開催された。中国館には全部で150万人の観衆が訪れた。
1993年8月7日―11月7日:「新しいテイクオフへの挑戦」をテーマにした万博が、韓国の大田で開催された。中国館は中国古代と近代の宇宙飛行科学技術、三峡水利工事、伝統文化と民族を展示した。中国館には350万人の観衆が訪れた。国家館の中で訪問客1位となった。同時に五つの最優秀外国館の中の一つに選ばれた。
1997年にカナダのケベック世界園芸博覧会を出展した。
1998年5月22日―10月31日:「海洋-未来の財産」をテーマにした万博が、ポルトガルのリスボンで開催された。中国館は海洋の開発と利用、海のシルクロード、ロケットアナログ衛星発射展示、サーカラマ館など4大部分に分けられた。主に海のシルクロードを主として、偉大な航海家?鄭和が船団を率いて7回の遠洋航海に出た歴史を紹介した。
2000年6月1日―10月31日:「人類-自然-技術」をテーマにした万博が、ドイツのハノーバーで開催された。中国館は情報スーパーハイウェイコーナー、未来宇宙飛行コーナー、近代コーナー、古代コーナーとサーカラマ館など5部門のテーマ地域で構成されていた。中国館は独特な外装飾と豊富な展覧内容で、世界各地からの多くの観衆が訪れた。連日約3万人の観衆が訪れ、世界博覧会総見学者数の4分の1を占めた。
|