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久事国際レース総監ルエバノ:発展は上海の骨髄に刻まれたDNA

2019年 1月 25日9:45 編集者:範易成

久事国際レース総監ルエバノ:発展は上海の骨髄に刻まれたDNA

  今の上海ではテニスのマスターカップ、F1上海レースなどの国際的なレースが次々と開催されている。久事国際レース総監ルエバノ(Luevano)は、上海のスポーツ産業がゼロからここまで発展してきた過程をずっと見続けてきた。彼は「今、上海は全力で四大ブランドを作っているところです。スポーツレースは上海におけるサービスの重要な一部分であり、その発展は上海のDNAに刻まれることでしょう。私は上海の将来に自信を持っています」、と語った。

  上海は丹頭鶴と似ている

  ルエバノが仕事のために上海に来たのは1995年。それから23年の間にここで結婚し子供も生まれた。多くの美しい思い出に彩られている上海は、彼にとってすでに自分の家となっている。「初めて来た時、上海が今のように発達するとは思いませんでした。しかし、上海は毎日、驚くほど変化·発展しています」。彼の話によると、昔の上海には高架橋がなく、空港からシャングリラホテルに行くのに1時間半もかかった。道路には車が少なく、人々はほとんど自転車に乗っていた。「当時は外国人向けのバーも少なかった。静安区にある馬竜バーはその一つで、よくあそこに飲みに行ったものです」。

  取材中、ルエバノは突然ある比喩を思い出し、こう言った。「1997年の上海は丹頭鶴に似ている」、と。当時の上海は建設ラッシュ。建設に使うタワー·クレーンが夕日にあかあかと照らされて林立している様子は、高いビルから眺めるとまるで丹頭鶴のように彼の目に映った。

  上海は国際スポーツの重要な市場

  ここ十年、数多くの国際的なレースが上海に進出している。例えばテニスのマスターカップ、ATP世界選手権大会など。ルエバノはこれらの開催に取り組んできた。彼にとって一番嬉しいことは、このようなレースが開催されることで、年々スポーツや国際的なレースが好きになる人が多くなっていることだ。彼の話によると、最初に上海でテニスのマスターカップ決勝が行われた時、観衆は3000人程度だった。しかし現在は1万5千人も収容できる会場で決勝が行われるのに、チケットを買えないテニスファンもたくさんいるという。「昔はテニスファンやテニス愛好者は少なかったけれど、今やテニスはすでに上海市民の一般的なスポーツになりました」。

  上海のテニスマスターカップ成功には、上海市政府の支援が大きな力を果たしているとルエバノは確信している。国際的な大会は現地のイベントと違い、大会の基準や要求が極めてハイレベルなので、現地の政府が政策などの面で支援するのは必要不可欠とのことだ。

  上海で国際的なレースが増えるにつれ、ルエバノもますます忙しくなっている。しかし彼にとって忙しいのは逆に嬉しいことだ。「私達の努力が世界に認められたということです。上海が国際スポーツの重要な市場の一つになることが明らかになりました」。

2005年、ルエバノは上海市から「白玉蘭記念賞」を授与された。これは上海に多大な貢献した外国人に贈られる最高の栄誉とみなされている。彼は「授与式の写真と賞状を一生大切にします」、と感慨を込めて言った。ルエバノはスポーツの分野において「白玉蘭記念賞」を受賞したただ一人の外国人だ。