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中央トウ案館が日本戦犯、船木健次郎の中国侵略罪行自供抜粋を公開
2014年 7月 9日16:49 / 提供:新華網日本語

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 【新華社北京7月9日】中央トウ案館は8日、日本戦犯、船木健次郎の中国侵略罪行自供抜粋を公開した。船木健次郎が1954年5月から6月にかけて書き記した供述によると、1897年に日本の富山県で生まれ、1937年12月に中国東北地方に渡り、第4国境守備隊歩兵少佐大隊長を務めた。1943年8月に日本に帰国後、再び朝鮮に渡った。1945年6月、第137師団第375聯隊大佐聯隊長に就任した。1945年8月15日、ソ連紅軍の捕虜になる。

 重要な罪は次の通り。「私の大隊は団長命令によって、村を全滅させた事も数回あった。年、月、日、場所などは明確に覚えていない。東?堂から南方15キロの場所は、一カ所に約15棟あった。東?堂から西南20キロの場所は、一カ所に約15棟あった。東?堂から西北約20〜30キロの場所は、一カ所に約15棟あった。」 「1941年8月、宛平県西南方地区之旅団作戦」で、「旅団予備隊は一つの村(東?堂から西南約45キロ)を焼き払った。その民家の数は約15棟と記憶している。」 「1943年4月、宛平?南方地区之旅団作戦」、「旅団予備隊はこの地区(東?堂から西南60キロ)の数箇所の村を燃やした。」 「住民を強制労働させた事項について」、「衛兵7人から20人を収容できる小さな陣地約6カ所を建造し、このために延べ計1,500人を必要としたことを覚えている。

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 また、建造した陣地を補強するために、東?堂から約3カ所の場所で、計延べ約1,000人を必要としたと思う。」、「経済封鎖のために、『遮断壕』を構築した」、「実際に壕を構築した部分は約15キロだった。?日、?1,000〜2,000人の労働力を必要としたことから、約一カ月を要した。」 「毒ガスの使用について。私の大隊に毒ガスは支給されていなかったが、赤筒は支給された。時期は1942年だったと思う。旅団兵器から支給されたときに、大隊の兵器系軍官が赤筒は毒ガスの範囲に属すると私に説明した。支給された赤筒の数量は覚えていないが、大隊が各中隊に均等に割り当てたと思う。各中隊がどのように使用したかについては、詳細な事柄ははっきりと覚えていない。」

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