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台湾文化界人士:抗戦は全民族に共通する記憶であり、日本による侵略の歴史は否定できない
2014年 7月 9日16:47 / 提供:新華網日本語

 【新華社太原7月9日】山西省で「山西に心掛け??両岸文化合コン行」に参加する台湾文化界の関係者らは8日、新華社記者に次のように説明した。大陸が高い水準で展開する抗戦記念行事は重要な意義を持ち、世の人々に警鐘を鳴らしている。抗戦は中華民族に共同する記憶であり、日本による侵略の歴史は否定できない。

 華視文化教育基金会董事長、台湾退役高級将領の周蓉生氏は1940年、戦火の広がる四川省成都で生まれた。日本の侵略が一般市民にもたらした災難の思い出は、今でも鮮明にかれの脳裏に残っている。周蓉生氏は次のように述べた。「あのとき、日本の爆撃機が毎日、飛んできて爆撃していた。私たちを封鎖し、商品物資が搬入されなくなった。私は米の汁を飲んで育った。」日本の侵略者が中華民族に甚大な傷を負わせたことを否定できない。すべての中国人がこの歴史を記憶に留めてはじめて、悲劇の再演を回避できる。

 有名な画家で、台湾師範大学美術学部、客員教授の劉国松氏は、日本の侵略者に対し切実な痛みを感じている。劉国松氏の父親は国民革命軍第26軍営長を務め、1938年、「大武漢保衛」会戦で日本軍の侵略に抵抗し、英雄的な死を遂げた。

 抗戦の情景について語る82歳の劉国松氏は、込み上げる激しい感情を隠せなく、「父親が亡くなったとき、私はまだ6歳だった。国が侵略された仇と家の恨みを私は全生涯でも忘れられない。」と述べた。1942年、劉国松氏は母親と同郷者とともに、湖南省道県に避難した。一家は、祠堂の中に逗留したが、翌日早朝に一隊の日本兵に祠堂を包囲されるとは想像もしなかった。

 劉国松氏は次のように話した。「日本兵はとても残忍で、母親を見て、腰にまいた帯を奪い取りました。なぜなら、避難するときにお金になるものはすべてここに入れていたからです。母親はその時、抵抗しようとしたが、瞬時に日本兵に銃で殴られて気を失いました。」これだけではなく、日本兵は腰刀で10歳の劉国松氏を脅して荷物担ぎとして使った。一面のサトウキビ畑を通りかかったときに、彼は命の危険を冒して脱走した。「私が祠堂に戻ったとき、母はまだ地面に座って泣いていました。」

 参訪団団員、台湾?外事務主管部門の前責任者、程建人氏は次のように説明した。中国の軍人 民間人の第二次世界大戦中の死傷者は3,000万人を超え、世界の反ファシズム戦争に巨大な貢献を果たした。全民族抗戦勃発は77年前の事だが、我々はこの苦難に満ちた辛い歴史を忘れることはできない。歴史の教訓は永遠に記憶し、汲み取る価値がある。

 台湾の陳春霖「沈春池文教基金会」秘書長は次のように述べた。歴史に対する姿勢は、ある民族の将来的な高みを決定付ける。「日本の一部の政治家は今でも、旧日本軍による第二次世界大戦での暴行を認めていないが、そのような人物が国際的に尊重されるだろうか。彼らは将来、代償を払うことになります。」

 陳春霖秘書長はまた、次のような見解を示した。中国人民抗日戦争の勝利は全民族で獲得したもので、抗戦で払った代償も全民族が背負った。このため、高い水準の抗戦記念行事は大いに必要とされる。両岸の若者がこの心が揺さぶられるような歴史を認識し、烈士たちが国のために捧げた犠牲と貢献を記憶するのに役立つ。 陳春霖秘書長はさらに「中華民族の本質は平和を愛することであり、我々は世界の平和的発展のために尽力することを希望します。」と語った。

 

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