中国の作家、魯迅の生誕130年に当たり、上海魯迅記念館がこのほど大幅に改装され、新しい展示内容を公開している。館長の王錫栄氏は、「陳列展覧の最大の変化は、より豊かな魯迅を表現することに力を入れたことであるーー偉大な人間だけでなく、平凡な人間でもある」と語った。
魯迅がそのために一生懸命に努力した核心思想である「立人」と新しい民族精神を鋳造したことを新しい陳列のテーマとする8万件あまりの収蔵品から1000件を選んだ貴重品が展示されており、魯迅の生活ぶりがうかがわれる人間くさい内容が多い。
特に人目を引くのは、新しい陳列ホールに呉為三さんが創造した大型のレリーフ「吶喊」、「彷徨」は、庭にある魯迅の彫像と共に内外の感情と風景がうまく融け合っている空間を作りあげ、人心を震撼させるし、現在の国内人物博物館のパイオニアになった。
改装された上海魯迅記念館
魯迅の家庭生活の場景も、初めて人々の目の前に展示される。「私も魯迅の遺物だ」。これは魯迅の最初の夫人の朱安さんが生前に残した言葉だ。朱安さんの肖像も、初めて記念館の重要な位置に置かれた。同時に、魯迅と許広平の感情生活も新しくあらわれる。
当時、許広平が自ら記録した『魯迅家庭メニュー』はいっそう注目される。これは魯迅と許広平が上海に来た後で使ったメニューで、時期は1927年11月から1928年6月まで。メニューの内容から見ると、広東と紹興の料理が多く、上海地方の味わいもある。記載された内容から見ると、当時の魯迅の生活はつつましかった。毎回の食事は一汁三菜、必ず野菜があった。その頃、魯迅の家の毎月の料理支出は20元以上で、平均が1人3元以上だ。ただし、その頃の魯迅の本を買う費用の平均は毎月47.9元、毎月の料理費用は本を買う費用の半分にも至らなかった。
改装された上海魯迅記念館
魯迅紀念館は魯迅が死の間際に住んでいた上海・大陸新村の住居(上海魯迅故居)で1933年4月11日から1936年10月19日まで開かれていた。現在地で開館したのは1951年1月7日である。また紀念館はこれらの収蔵品の展示と管理のほか、魯迅に関する研究や魯迅公園にある魯迅墓や魯迅故居(魯迅が生活していた家)の管理も担っている。現在の建物は1998年8月1日にオープンしたものである。
(編集:章坤良 写真も)