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上海地下鉄追突 乗客が語る事故発生時の状況
2011年 9月 29日9:40 / 提供:人民網日本語版
上海地下鉄10号線の豫園・老西門駅区間で9月27日午後2時51分、列車が追突する事故が発生した。中国青年報は事故当時、列車に乗っていた乗客への取材をもとに、以下のように報じた。

 あたりは一面の暗闇。李さんは地下鉄の車両から這い出した後、自分の進む方向すらわからず、前の人について歩くほかなかった。隣を歩いていたおばあさんが、気が動転したのか何度も「一体何があったの?」と訪ねてきたが、それに答える気力もなかった。車両からプラットフォームまでの10分間はまるで地獄のようだった。「ただ早くプラットフォームに着きたかった。頭の中は真っ白でした」。

 李さんは恐怖におびえながら事故発生当時の状況を振り返った。

 「車両は追突する前、豫園駅でしばらく停車していました。地下鉄が停車することはこれまでにも良くありました。でも運転再開後しばらくして、周囲の人が突然『飛び上がった』のが見えたんです。私は座席に座っていましたが、手すりに思い切りぶつかりました。追突が運転再開後すぐだったのは幸いでした。私は後ろの列車(追突した列車)の中間車両に座っていたので大丈夫だったんです」。

 ノルウェー人のJulieさんが子供を抱いて駅から出たところ、血まみれの重傷者が担架で運ばれて行くのが見え、気を失った負傷者や、あまりの恐怖に意識を失った人々を目にしたという。事故発生時、Julieさんは子供と一緒に後ろの列車の中間車両に座っていた。突然ドーンという音がし、子供ははね飛ばされ、放物線を描いて床にたたきつけられた。Julieさんは当時の状況を「Incredible(信じられない)」という言葉を何度も使い表現した。

 粟さんは事故で胸部挫傷を負ったが、大事には至らなかった。事故当時は後ろの列車の後ろから2、3番目の車両に乗っていたという。バン!という大きな音がして急ブレーキがかかり、体中が大きく揺れたかと思うと、進行方向に倒れた。当時手すりに寄りかかっていたので投げ出されることはなかったが、手すりの壁部分に体を打ちつけ、胸部挫傷を負った。追突後、乗務員らは乗客にあわてず救援を待つよう呼びかけた。10分あまり経つと、消防隊員が到着し、乗客を連れて車両の後ろのドアから撤退したという。

 勝兜カ斌さんは事故当時、前方の列車(追突された列車)の後ろの方の車両に乗車していた。追突した瞬間は、反応する間もないうちに床に倒れていたという。「当時、地下鉄の電気もエアコンも着いたままで、まるで夢を見ているかのようだった。でもどんなにがんばっても床から立ち上がれなかった。女性は泣いていたし、男性も皆唖然としていた。携帯電話はいつの間にかどこかに飛んでいってしまった。周りの人はみな電話をかけていたが、自分は家族や友人に連絡することができず、焦りと恐怖を感じた。ある乗客が『床に伏せているように』と叫んだので、私達はおとなしく列車の床に座ったり横になっていた。どれくらい経ったか分からないが、『もしここから逃げ出せなくなったら一体どうしよう?』とばかり考えていた」。

 幸い、勝鰍ウんの傷は軽く、打撲の薬を処方され、3日間の病欠証明が出された。勝鰍ウんはその後、家族らの付き添いの下帰宅した。

 上海地下鉄10号線(一期)は全長36キロ、31の駅がある。始発は上海北東部の新江湾城駅、終着は上海南西部の虹橋空港駅で、全て地下線となっている。

 現場にいた乗客によると、前の列車の最後尾車両と後ろの列車の先頭車両はいずれも衝撃で変形しており、重傷者のほとんどはこの2車両に集中していたという。消防隊員は、「車両の変形は思ったほどひどくなかった。幸い、スピードが遅かったため、負傷者が圧迫されずにすんだ。さもなければ事態はさらに深刻になっていたことだろう」と語る。

 上海市衛生局の徐建光局長によると、27日夜7時現在、271人が病院で検査を受け、うち180人が退院、61人が入院した。30人は救急診察室で24時間様子を見守り、特に異常がなければ退院となるという。現在のところ重篤者・死者は出ていない。