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やさしい環境も享受できる塩城市(下)
2014年5月 21日17:54 乛 提供:
塩城市の遊園地で記念写真におさまる観光客

 春めいてきた、あらゆる花々が咲き乱れるごろ、上海から256キロメートル離れる江蘇省沿岸部に位置し、長江デルタ都市群における最大の土地予備資源を有す塩城市に足を運んだ。(上)、(中)、(下)に分けて報告する。

 塩城経済開発区は、区内に登録、納税される全ての生産性プロジェクトと先端技術プロジェクトに対して、プロジェクト建設段階では行政事業性規定費用を徴収しないという“無料地域”政策や開発区に進駐し、ソフトウエア開発、増資と株の拡大、上場、技術研究開発、科学研究院所の設立、プラント戦略の実施を行うまたは財政税収の貢献が大きい企業に対して、さらに、誘致された科学技術性の高いあるいはリード性の強いフラッグシッププロジェクトに対して、出資と専用サポート資金を与えるという “資金サポート”政策を打ち出したほか、国内外知名な業界のエリート人物により引率され、短期間内において、一連の業界トップ企業と人材をひきつけるために、「新嘉源人材アパート」などの生活団地建設に数年前から力を入れ始めた。

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「新嘉源人材アパート」などの生活団地を見学する来訪者ら

 「新嘉源人材アパート」では従業員の宿泊だけでなく、娯楽、リラックス、買い物などの生活サービスをすべて提供できており、やさしい環境をも享受できる。

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塩城市の庭園

 塩城経済開発区の地形は近代浅海の堆積により形成された海堆積平原で広く平坦、河川網が広く分布している。塩城東部沿海には太平洋西海岸、アジア大陸辺縁の面積の最も大きい、原始生態の最もよく保持された海岸型の湿原があり、世界初の野生シフゾウ保護区と国家級鳥類(タンチョウ)自然保護区が建てられ、国連教育科学文化機関“人間と自然生物圏”のメンバーであり、清潔に対する電子情報企業のニーズに適応している。

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塩城市の遊園地

 塩城市の歴史を振り返ると、数多くの有名な人物を孕んで、育成してきた。漢代末期“建安七子”の一人の陳琳はその文章が抜群で全国でも有名であった。北宋の“天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ”の範仲淹は後世に伝唱される。南宋の陸秀夫は国と共に存亡し、末代まで令名を残す抗元民族英雄になった。元末の塩民張士城はむしろ旗をあげて立ち上がり、大周政権を創立し、蘇州で呉王と自称した。文学巨匠の施耐庵はかつて白駒場で身を隠し、巨著《水滸伝》を作成した。明代哲学者の王艮が創立された“泰州学派”は全国で有名であった。書法家の宋曹の作品は海外に渡り、日本でも褒められている。孔尚任、李汝珍は塩城の水と墨で不朽名著の《桃花扇》、《鏡花縁》を完成した。当代になると、さらに人材を輩出し、“二喬”で有名な傑出外交家の喬冠華及び中国共産党“党内一つの筆”と褒められた胡喬木などは塩城の生まれたのだ。

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輸出入の保税区を見学する来訪者ら  

 二日間の塩城市見学が終了し上海に戻ったが、今も同市のやさしい雰囲気とともに私の脳裏に焼き付けられている。

(章坤良 写真も)

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