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中日文化交流の架け橋—吉澤大淳氏

2019年 3月 19日17:07 提供:東方網 編集者:兪静斐

 一衣帯水の地にある日中両国間では、昔から多数の有識者が友好交流の架け橋となってきた。著名な書画家であり、日本蘇頌研究会会長吉澤大淳(本名吉澤清)氏もその一人である。

 吉澤大淳氏は1944年に長野県に生まれたが、幼い時から書画が好きであった。中年以降、氏は老子、荘子と陶淵明に憧れ、山水画の創作を始めた。東京都立大学(現首都大学東京)講師、下諏訪町教育委員会委員長などを歴任。今は中国廈門蘇頌科学技術教育基金会名誉顧問、日展会員、日本ペンクラブ会員、日本中国文化交流協会会員、著書は『日本の美と心』、『水墨の心象』、『吉澤大淳画文集山水の詩情』、訪中随想集『玉笛譜』、『千里萬感』、『文房瑣談』、『漢中旅遊』等。氏の書画作品は日本でも名高く、海外でも著名である。中国と日本各地の美術館、博物館にも収蔵されている。

吉澤大淳氏(撮影 遠藤雅也)

 吉澤氏には三十数回の訪中歴があり、北宋文化にも造詣が深い。特に書、画、やきもの等の美術に関心が高く、「清明上河図」に思いを馳せる。

  吉澤大淳氏の書道作品

  吉澤大淳氏の書道作品

 990年代初頭に、吉澤氏が下諏訪町から地域振興の相談を受け、北宋時代の水運儀象台の復元プロジェクトを提案した。同提案は現地の行政機構、科学技術史学術界、精密機械業者の賛同と援助を得た。約4年の歳月をかけ、1997年3月にこの複雑な複製プロジェクトはついに完成された。

 下諏訪町「時の科学館」に聳え立つ水運儀象台(撮影 劉幸宇)

 水運儀象台は水力で駆動する大型天文観測時計塔である。西暦1092年(中国の北宋時代)に当時最高の機械学者である蘇頌などが宋の都開封で開発、製造したものであり、西暦1124年に戦乱により破壊された。水運儀象台は中国宋の時代における天文学と機械工学の偉大なる発明であり、機械式時計のルーツとも言われている。また、近代科学技術が誕生する前に人類が作った最も大きい、最も精密な科学機械である。下諏訪町に復元された水運儀象台は原寸大であり、その高さは約12メートル、下層の幅は約6メートル。極彩色の美に輝いて甚だ壮観である。立派に複製された水運儀象台には、国の科学史学者達が視察に訪れ、東京、京都、大阪など各地の学生が科学技術の歴史を学びに訪れている。なお、これをきっかけとして下諏訪町と中国古都開封市とは友好交流の協定書が調印された。吉澤氏は7回開封市を訪れ、2001年には、中国開封2001菊花花会中日書法作品展に団長として参加した。

 2016年秋、吉澤氏が廈門人民政府の招きに応じて、同市の同安区にある蘇頌の旧居と蘇頌文化公園に聳え立つ原寸大の水運儀象台を視察した。氏はインタビューで「廈門の水運儀象台と長野県の水運儀象台は『兄弟』です。これからも日中文化交流の懸け橋の役割を果たしていきたい」と感無量に話した。

 2017年春、中国の水運儀象台視察団一行が諏訪湖時の科学館儀象堂を訪れた。吉澤氏らが親切に案内し、温かいもてなしをした。同視察団は下諏訪町が復元した水運儀象台の精密さを高く評価した。

 2018年秋には吉澤氏が蘇州育龍科教設備有限公司で中国における水運儀象台製作の現状を視察し、本年開封に完成した新たな水運儀象台の映像資料を見て感慨を新たにした。

 2018年秋吉澤氏(右から三人目)が蘇州育龍科教設備有限公司で水運儀象台を見学

 2017年に発足した「日本蘇頌研究会」は会員83名がおり、蘇福倫氏(蘇頌の後裔)、菅成学氏(蘇頌研究の代表的な学者)、鈴木一義氏(国立科学博物館)が名誉顧問、土屋栄夫氏、崔海玉氏、崔蓓氏が顧問となり、橋本清一氏が事務局長を務める。吉澤氏は筆者に「中国は日本文化の故郷であり、水運儀象台の復元は長い歴史を持つ日中両国の文化交流のシンボルです」と感慨深げに語った。また、「日本蘇頌研究会の発足をきっかけに、蘇頌の研究を深め、中国との交流をもっと盛んにしたい」と抱負を話した。

 日本蘇頌研究会の吉澤大淳会長、土屋栄夫顧問、橋本清一事務局長、筆者が国立科学博物館にて(右から)

  (劉幸宇)