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随筆漫談(二)

2016年 11月 8日17:12 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

  作者:銭 暁波

 前回の続きである。

 随筆のなかには大真面目な論説や芸談もあれば、過ぎ去りし日々を回顧する回想文、日常の所感をスケッチ風にまとめる小品、旅先の見聞や感想を綴る紀行文、そして作家の書簡や日記も場合によっては一種の随筆とみなしてよいのである。魯庵翁は「随筆というのは三分の茶気と二分の皮肉が無ければ書けない」といったが、ユーモアを効かせ、揶揄皮肉自嘲などが目立つ風刺文というのも読み応えがあるもので、魯庵翁の『随筆問答』はそのたぐいのものである。

 これまで読んできた爆笑を誘う随筆といえば明治時代に筆禍事件で四回も投獄された宮武外骨のものがある。奇人変人と呼ばれても仕方ないほど文章の着想はときにやや偏執的だと思われがちだが、言論の自由を求め、反骨精神に富むその奇想天外の文章はまさに抱腹絶倒そのものである。読んで面白かったので、外骨が編集する『頓智新聞』『滑稽新聞』『スコブル』『面白半分』などをまとめた著作集を買おうとも思ったことがあったが、べらぼうに高かったため残念ながら割愛せねばならなかった。

 古来、随筆の名手は多いが、古典ものを除いて近代の文筆家では小生にとって永井荷風の文は一押しだと思っている。淡然と語られる文章には人生の孤愁など深い滋味がしみじみと感じられる。すらすらと流れてくるメロディーのような美文にはバロック音楽の美しい装飾音が耳のそばで幾度となく旋回するようで、長い余韻を引いたまま読み耽けていける。荷風は漢文の素養が高いためか、文体には音韻的な美しさが感じられ、叙情的な文脈に加え、朗読にも相応しい美文である。拙文もときどき真似しようとしているが、到底力が及ばず、全くその境地に至らないのである。

 荷風のみならず、漱石、鴎外、露伴、潤一郎などいわずと知れた文豪や、東山魁夷、高村光太郎、小出楢重、上村松園など名高い芸術家も、ほかに岡本かの子や幸田文、向田邦子などの女流作家も、読み応えのある随筆は山ほどある。こういった美文調の随筆を講義で何度か諸君におすすめしたが、残念ながらあまり関心を持たぬようであった。

 というのは無理もない。若い時分の小生もあまり随筆に興味なく、ほとんど触れようとしなかった。物語性が乏しく、御託ばかり並べ、延々と続く老人の繰り言のような随筆を読むに耐えず、無理して数頁をめくればたちまち眠気に誘われ、睡眠薬よりはるかに効くのであった。要するにストーリーに没頭できる楽しさは随筆にはまずないからであろう。そう考えるのはきっと小生だけではなく、大半の人はこのような経験をもっているに違いない。しかし、妙なことに、歳を重ねるにつれ、それが逆転してしまうのである。あまり原因など探ったことはないが、おそらく随筆というものは、ある程度人生の経験を積み重ねていかなければそこから共感を得ることができないものなのであろう。随筆にある自由さや深み、そして渋みというのは、まさにコクのある深煎りのコーヒーと同様に、あるいは音楽ならジャズ、お酒ならウィスキーといった味わいの深いものと同じなのであろう。(了)