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芸術家徐進:漆工から陶芸家に転身し「曜変天目」に挑戦

2021年 1月 19日17:28 提供:東方網 編集者:範易成

 建窯の建盞(けんさん:中国福建省にあった建窯で焼かれた茶碗)曜変天目茶碗は宋代の名磁器で、中国の国家级重要無形文化財である。他の建盞と比べ、「曜変天目」は特殊で神秘的な魅力がある。それは鉄が多く含まれていることで釉薬が漆黒を呈し、「窯変」現象が起きると釉薬面が光に照らされて角度によって玉虫色に光彩が輝いて移動するからだ。

 先ごろ、天目作家·古川剛の代表作約30点を展示する中国初の個展が、上海BFCの「KYOTO HOUSE」で開かれた。期間中は芸術家で曜変建盞技術の伝承者である徐進氏が、訪れた人々に天目茶碗の発展史を説明した。徐進氏は会場で東方網の記者の取材に応じ、漆工から転身して、「曜変天目」の再現に向けて試行錯誤してきた自身の歩みを述べた。

 日本で始まる芸術の道

 徐進は上海人で、1988年に日本に留学する。最初は東京で服飾デザインを学んだが、1年間の実習を経て、自分の性格はアパレル業界に向いていないと感じた。その後日本にいる華僑の友人らと付き合う中で、東京を離れることを決意する。東京の忙しさに心が疲弊した彼は、友達の紹介で金沢市に足を向けた。徐進は、「そこは古い町です。普段はスーツを着る必要がないし、歩くだけでどこへでも行けます」と述べた。金沢について語る時、彼の言葉にはその小さな都市への愛着がにじみ出る。そして徐進はこの地で芸術の道を歩き始めた。


 徐進は金沢で九谷焼や金箔の研究に没頭した。そして長年、真面目に研鑽を積むことで、漆工界で輝かしい成績を収めるようになる。1997年、徐進の金箔漆工芸は日本金沢市長賞を獲得。1998年には伝統工芸の域を超えた作品で日本全国発明特別賞を獲得した。この賞は毎年日本全体で6名にしか与えられず、徐進はその年唯一の中国人受賞者であった。さらに2009年と2012年には、それぞれ「日本国際漆展」に入選した。

 分野を越えて「曜変天目」の再現に挑む

 建盞の中でも曜変天目茶碗は特別な作品で、「器の中に宇宙が見える」とも評される。曜変天目茶碗は現在の中国福建省南平市建陽区にあった建窯で作られたとされる。現存するものは世界でわずか3点しかなく、そのすべてが日本にある。それぞれ静嘉堂文庫、藤田美術館、大徳寺龍光院が所蔵している。

 2015年に徐進は「曜変天目」を知り、その時から建盞について勉強を始めた。徐進は、「この製法は700年以上も前に失われました。80年代以降、中国、日本、韓国などの国で多くの人がその再現に挑戦してきました。これは九谷焼とは天地の差があり、制作過程はほとんどコントロールできません。『コントロールできない』という点が面白いのです」と述べた。

 2016年の夏、徐進は建陽を訪れた。建陽水吉の建窯遺跡の近くには、当時の鉄分含有量の高い紅土と原鉱がまだ残っている。ここに「曜変天目」の再現の可能性を感じた彼は、改めて土、植物、釉薬鉱、環境、そして焼成の気象条件を観察した。さらに権威ある資料を調べて建盞の化学成分についての報告を研究して、特製の釉薬水を作り出す。また、当時の環境に近づくために思い切って電気窯を止めて伝統窯で焼くなど、様々な試行錯誤をする中で大量のデータを集めて調整を続けていった。こうして最後に、自分だけの素晴らしい「曜変天目茶碗」を完成させたのである。




 「曜変天目」はついに徐進の手で完全に再現された。作品に見られる斑文は美しく光り、深い色味を持つ背景とのコントラストは暗い夜の星空のようだ。2018年、彼の「曜変天目」作品は上海工芸美術博物館に展示され、収蔵された。2018年末には日本の金沢で徐進復焼作品展が開催された。そして2019年、この技術によって徐進は、上海市黄浦区の無形文化財プロジェクト「曜変天目」技術伝承者に認定された。 

(編集:f)