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この台湾の女性が杭州で中日茶文化の交流に献身

2021年 1月 5日17:19 提供:東方網 編集者:範易成

  このほど、天目作家·古川剛による中国初の個展が上海BFC(バンドフィナンシャルセンター)の「KYOTO HOUSE」で開催され、代表作約30点が展示された。そしてこの個展とタイアップして行われた中日茶文化交流会では、茶文化の専門家である余紀萱が両国の茶文化の特色を説明し、それぞれの歴史を切り口にして中日茶文化の起源と両国の茶文化の発展の歴史的脈絡を集まった人々に紹介した。

  茶道と縁を結んで十年

  余紀萱は1989年台北生まれ。高校卒業後は日本の京都大学へ留学して大学院を卒業し、2018年に杭州市余杭区の千人計画に応じて、余杭観光グループに参加した。今回の交流会で彼女は、より多くの人が違った角度から中日茶文化を理解してもらいたい、と考えている。

  「余杭の余と申します」。余紀萱はこう自己紹介するのが好きだ。12年間の日本生活のうち、大学2年の時の茶道の授業で初めて茶道文化に出会い、日本の茶道の起源が中国にあることを知ったという。彼女は記者に対して、「唐宋時代は中国の仏法が盛んでした。多くの日本の僧侶が名声を慕って中国に仏法を学びにきましたが、仏法を学ぶ中で禅の文化を悟り、そしてそれを日本に持ち帰って、千年の時間を経て、やがて今の日本の茶道に変化したのです。中日両国の茶文化には、深い繋がりがあります」と語ってくれた。

  茶道を文化観光とタイアップし、陸羽のアバターを作成

  杭州に来る前、余紀萱は大学院生の時に、京都で行われた世界遺産回遊バスの計画に関わり、その後は台湾のクリエイティブ商品分野で何回も表彰されるようになった。さらに仕事のかたわら、千葉県観光大使や故郷の新竹県の観光大使も務めた。こうして文化観光産業の経験を積んで径山と日本の深い繋がりを発見した中から、余杭径山で自分の長所を発揮したいと思うようになった。


  大径山は、「日本茶道の源」と呼ばれる。陸羽が『茶経』を書いた地として知られているが、影響力と特色のある文化観光のコンテンツがあまりないため、これまで強い観光競争ブランドを形成するのはなかなか難しかった。そこで余紀萱はまず『茶経』、『余杭県志』、『径山志』などの本を読んだり、各地の関係者に会って研究したりした。そして中日茶文化の同じ面や異なる面を調べて、自分の率いるチームメンバーと一緒に禅茶文化の独特な魅力を掘り下げていった。こうしてわずか二年足らずで、余杭大径山禅茶の歴史文化を深く掘り起こし、観光のコンテンツを開拓した。

  余紀萱は、「観光プロモーションは観光ルートを紹介するだけでは印象にあまり残りません。そこで陸羽と茶小僧のアバターを作り、茶産業、茶文化、茶観光など多くの分野をめぐって展開するようにしたのです」と述べた。陸羽のアバターは服装、髪型から茶器まですべて様々な文献を厳格に参考にし、最も代表的な造型を選んだという。

  余紀萱はフォーラム、紹介会などの旅行テーマに関するイベントにも積極的に参加している。さらにチックトックなどのニューメディアラットフォームでも不定期に生放送とビデオ投稿を行っている。こうして陸羽の文化コンテンツを育て、鮮明なブランドとして人々に発信することで、大径山村観光ブランドの全体イメージを強化したい、と考えている。

(編集:f)