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日本貿易振興機構上海代表処の水田賢治所長:輸入博はチャレンジでありチャンスでもある

2020年 11月 4日17:28 提供:東方網 編集者:範易成

 今年9月、日本貿易振興機構(JETRO)上海代表処の首席代表として、水田賢治氏が就任した。中国と縁を結んで20年余となる水田氏は、1999年から2006年まで上海の代表処に勤め、当時ジェトロでは駐在期間が一番長い駐在員であった。今回再び上海での駐在生活を始めた水田氏に対して東方網はインタビューを行い、中国との縁、日系企業の発展及び今注目の輸入博について語ってもらった。

 7年2ヶ月のジェトロ最長の海外駐在時間

 1991年、大学生であった水田氏は中国への強い興味を胸に、中国の地に降り立った。「ニーハオ(こんにちは)」と「謝謝(ありがとう)」の二つの中国語しかできなかったが、1ヶ月以上かけて北京、新疆ウイグル自治区、東北3省などを一人で旅した。1992年に大学を卒業すると日本貿易振興機構に入社し、1995年から1996年まで香港に派遣されて中国語の研修を受けた。

 1999年に入ると、上海代表処に派遣されて日系企業のサービス支援、展示会及び知的財産問題などの関連業務を担当するようになった。その仕事は7年2ヶ月に及び、ジェトロで駐在期間の最も長い駐在員となった。駐在期間がこのように長くなった理由について水田氏は、「この活動には日本企業だけでなく、上海市の工商行政管理局や税関にもご参加いただき、日中双方で知的財産問題の改善に向けて取り組んでいました。この取り組みがやや専門的な活動であったため、すぐに引き継げる後任がなかなか見つからなかったのかもしれません」と説明した。

 駐在していた時期で最も印象に残っていることは、当時の中国に高速鉄道はまだなく、各地に出張する時に車で移動したことだ。その中で一番時間がかかったのは江蘇省の連雲港で、当時片道約10時間かかったという。水田氏は、「日本企業の方々に華東地域を中心とする様々な地域についての情報提供をするために、上海市のみならず、江蘇省と浙江省はすべての地級市に行き、安徽省、江西省、四川省、重慶市にも行きました」と述べた。7年間で数多くの場所を訪れて中国の広さを深く感じたが、その時期は水田氏にとって特に素敵な思い出となっているという。

 十数年前、中国のGDPはまだ日本に及ばなかった。当時の中国は日本企業に対して大きな需要があった。水田氏によると、ジェトロ上海代表処の首席代表に就任した後の最大のチャレンジは、中国の経済社会が急速に発展している中で、日本企業は中国、特に上海でどのようにビジネス活動を展開していくのが良いかを考えることで、上海の駐在期間中はその答えを自分なりに見つけ出したいと常に考えていたという。

 輸入博はチャレンジでありチャンスでもある

 昨年の輸入博では、日本から出展した企業は国別で最も多く、371社に達した。ジェトロは本年度も引き続き日本における取りまとめ機関として、日本企業による中国市場での販路開拓を支援する。ジェトロは今年の輸入博に、①食品·農産物、②医療機器·医薬保健、③消費品の3分野にジャパン·パビリオンを設置する。156社·団体が参加する予定で、ジェトロはこれらが中国市場を開拓し、販売ルートを確立できるよう協力する。

 今年の輸入博は非常に特別で、全世界が新型コロナウイルスの影響下にあることを背景に、すべての企業が大きなチャレンジに直面している。しかしこの中にもビジネスチャンスが秘められていると水田氏は言う。「例えば、遠隔診断に必要な画像診断設備の製造技術、ロボットによる高度な自動化技術、食料品の鮮度を保つ冷凍·冷蔵設備に応用されるコールドチェーン(低温物流)技術などです。日本企業はいずれも強みを持っており、これらの技術が中国市場において大きなシェアを獲得できる可能性は大いにあると思います」と述べた。

 コロナ禍の影響で渡航制限がある中でも、ジェトロは最新のデジタル技術やオンライン商談ツールを最大限に活用し、出品企業各社が日本にいながらにして商談の機会を獲得できる体制を構築している。そして、ジャパン·パビリオンでは、ジェトロは中国大手イーコマースのアリババや京東(JD.con)と新たに連携して、オンライン·オフライン連動型の新形態出展「Japan Mall」を設置。5Gネットワークを今年初めて会場で活用し、生放送、VRなどを通じて会場のバイヤーと日本での売り手をつないで、商談と注文を実現しようとしている。

 水田所長は、「輸入博は今年ジェトロが参加するイベントの中で最大規模のイベントです。日本企業は中国の進出に大きな期待を持っています」と述べ、できるだけ多くの日本企業と中国企業の取引が成立するように全力を尽くしたいと決意を表明した。