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三菱商事(中国)有限公司の平井康光社長:温故創新で社会に貢献する

2020年 10月 27日10:11 提供:東方網 編集者:範易成

 9月28日午後、三菱商事(中国)有限公司の社長で三菱商事株式会社中国総代表の平井康光氏は、龔正上海市長から「上海市名誉市民」の表彰状と表彰メダルを受け取り、上海市で45番目の栄誉市民となった。授賞式は偶然にも誕生日と重なり、平井氏にとって「生涯最大の記念」の日となった。上海に来て以来、平井氏は中日間の貿易·経済事業を積極的に推進。運営停止の寸前だった上海の「日本商品センター」を全面的に引き継いで、日本のベンチャー企業と上海消費市場の懸け橋の役割を果たしてきた。今回平井氏は外国人に与えられる最高の栄誉である「上海名誉市民」の称号を獲得したが、上海の経済·社会に貢献する彼の道はまだまだ続いている。

龔正市長と平井康光(左)

 経済の先を読み中国に単身赴任

 平井氏が三菱商事株式会社に入社したのは1984年4月で、その後1987年9月から88年6月まで、北京大学で中国語の語学研修を受けた。三菱商事の業務は世界中に展開しているが、なぜ中国を選んだのかという問いに対し平井氏は、「三菱商事に入社後、中国はこれからどんどん世界の中から重要な役割を果たしていくということを感じました。ですからまず最初に会社の制度を利用して、中国で中国語を勉強しようと思ったんです」と語った。

平井康光

 平井氏が最初に中国を訪れたころ、中国は改革開放の初期だった。初めての上海について平井氏は、「北京大学から駅まで行って、北京から上海まで列車に乗って、当時一番早い列車でも16時間ぐらいかかったんですからね。多分皆さんの年代だったら考えられない時代かもしれないです」と、感慨深げに述べた。現在では北京から高速鉄道で上海までたった4時間しかかからない。平井氏が予想した未来は全部現実になり、中国は非常に速いスピードで大きく発展して、世界の中でも非常に重要な地位と役割に到達した。平井氏は、「中国語を勉強して中国の仕事を始めて、本当に良かったと思っています」と述べた。

 平井氏は、上海は国際大都市として、中国の改革開放の中で重要な役割を果たしてきた、と言う。「上海の良いところは自分が窓口になっているだけではなくて、いろんな人が来ることを受け入れる包容性があります。外国に対して窓口が開いていると同時に、国内にもいろんな人に対しても包容的に腕を広げて、皆を包み込むようなところがあるのが上海の特徴だと思います」と述べた。その考えがあったからこそ、2012年に上海の日本商品センターが運営停止の危機に直面した時、三菱商事(中国)有限公司を率いてセンターを全般的に引き継いだという。「当時、いろいろな交流が難しくなって来た時期でしたが、その中で上海市はその影響を受けずに窓を広げ続けました。日本との交流、それから日本の商品を中国の上海の市民に紹介していくことを上海市自体は続けてきたわけです。そういうことを誰かがやらなければいけないと、特に上海市側がそう考えているのに、日本側でそれができないのは大変もったいないし残念なことなので、誰もやらないのであれば三菱商事がそれを引き受けようとなりました。ですから、これは決して利益のためにやっているのではなくて、もっとたくさんの人が参加してもらいたいと思うんです。もっと多くの人が商品センターや交流に興味を持って参加して、もっと太い交流にしてもらいたいです」と述べた。

 中日連携のコロナとの戦いで率先して現場に赴く

 今年の初め、新型コロナウイルス肺炎が蔓延した時、平井氏はすぐさま東京で激励のビデオを作成する。そして上海市政府に対して、自分のできる限り上海の防疫活動に力を尽くし、上海の人々と一緒に困難を乗り越えることを約束。総合商社として世界中の取引プラットフォームのサプライチェーンをまとめる三菱商事の優位性を背景に、国境を越えた組織能力を発揮して海外のサプライヤーと連絡を取り合い、他に先駆けて20万枚のサージカルマスクの海外からの調達を完成し、上海の防疫活動を支援した。

平井康光

 流行がまだ収まっていない最中、中国に戻ることができると分かったと同時に、平井氏は企業の事業再開を指揮を執るため、勇敢にも「逆行」して率先して一人で上海に帰って来た。そして、現地の社員と協力して、日本だけでなく諸外国に向けても上海の防疫活動の成果と中国の最も正確な情報を発信し続けた。

 上海に戻った後、平井氏は仕事のために再度日本に帰ったことがある。そのため上海で2週間の集中隔離を2回受けて、PCR検査を5回も受けたが、平井氏は上海の隔離措置について、「上海の空港と市内の集中隔離施設の態勢は非常によくできています。上海に帰ってきて嫌な思いをしたことがありません。浦東空港の係員の誘導も非常に丁寧だし、礼儀正しくて分かりやすくて合理的。これは多分上海のいいところです。まさに上海の特性というのはそういうことです。外国人だけじゃなくて、上海市民もそういうものを理解しています。政府に協力するというより、社会全体に理解して協力するという態勢ができてきたと思います。まさにこういう大きな問題が起きた時に、改めて上海の良さを感じました」と述べた。

 温故創新で上海に貢献する

 新型コロナウイルス肺炎の流行で、多くの企業が影響を受けている。上海の経済回復について平井氏は、コロナウイルスの対策と経済活動を同時に進めるのは非常に難しいことので、きめ細かく臨機応変な対応が社会全体で必要だと考えている。世界経済が打撃を受けている今、上海はショッピングフェスティバル、ナイトマーケット、ライブコマースなどの措置を通じて経済の回復を促していることから、平井氏はこれが中国経済の回復の重要な機会だとみる。

 受賞の挨拶

 名誉市民受賞の感想を述べるに当たって、平井氏は『論語』の一節の「温故知新」を「温故創新」と変えて引用した。それは奉公の理念であり、「古きをたずねて新しき貢献を創成する」という絶えず上海に新たな貢献をする意味だ。三菱グループは近年、中国で積極的な社会貢献活動を続けている。三菱グループの中国企業11社が共同出資して、中国障がい者スポーツ管理センターや中国障がい者福利基金会と協力し、5回の「三菱友誼杯」障がい者民間サッカー大会を開催した。三菱商事でも天使知音サロンを支援し、自閉症スペクトラムの青少年のリハビリや日常学習のための活動経費を出資している。そして北京、上海、広州などで三菱商事奨学金を創設し、上海復旦大学、同済大学、上海交通大学と成蹊大学の交換留学プロジェクトなどにも出資している。

中国身体障害者連合会張海迪主席と平井康光

 平井氏は2014年に「上海白玉蘭記念賞」を、2017年に「上海白玉蘭栄誉賞」を受賞した。そして今回は「上海市名誉市民」の称号獲得である。平井氏は、これらの栄誉は自分のこれまでの行為が上海市政府、上海市市民に認められた結果と考えている。平井氏は長年にわたって上海の経済、文化、社会交流活動に積極的に力を入れてきた。中日関係はいかなる状況においても、いかなる分野においても弱くなってはいけないし、両国の経済貿易の発展を推進することは辞めることのできない義務であると平井氏は強調する。そして平井氏は最後に、「今後も上海市への貢献、社会への貢献を基本にします。そして日本商品センターへの協力なども持続しながらビジネスも展開していきます。中国では常に様々な新しいことが起こっているので、発展は間違いないです。これからもどんどん発展していくでしょう。ただそこで企業が発展できるかどうかというのは、我々の努力にかかっているので、もっともっと努力していけないと中国の発展に追いつけなくなります。発展する中国ともっともっとお付き合いをして、一緒に企業としても発展をしていきたいと思います」と述べた。

(実習編集:范応良)