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第十一回 楽しい思い出――日本でのホームステイ
2004年 1月 14日11:15 / 提供:

周 妍

 

「陸地が見えるよ」同級生のわくわくした声で、飛行機の窓から確かに青い海の中につながっている陸地が見えてきた。「桜が見えないね」という私の呟きに隣の周さんは、「馬鹿じゃないか、まだ空の上だよ」。「そうね、私気が早いね。」私も納得して頷いた。

 

 授業の中で、この国の言葉を三年間勉強してきたし、先生からもその国のことを耳にたこができるほど聞いていた。言ってみれば、心の中ではその国のことを身近に感じていたが、しかし、今はいつもの時より「近い、もっと近い」としみじみと感じられ、一瞬、ある種の衝撃に襲われ、胸もどきどきしてきた。

 

 私たち同済大学日本語学部訪日代表団はその夜、日本の大阪府池田市に到着し、そこで十日間のホームステイを始めた。

 

 最初の日に私を泊めてくれたのは、中田さんご一家だった。生の日本人の家庭に泊まるのは初めてだし、ちょっと緊張していたが、親切な中田さんとご家族の皆さんは私のその心配がわかったかのように、明るい笑顔で私を迎えてくれた。笑顔というものは、さすがに世界中どこでも通用する友好の印なだけあって、私の緊張と心配もぱっとイラクに飛んでいった。

 

 最初の三日間は、上品な奥様と可愛い万理子ちゃんがいろいろなところへ案内してくれた。最初はこちらがなにも分からなかったので、お二人にいろいろ迷惑をかけたと思うが、彼女達は相変わらず明るい笑顔だった。おかげで、日本の町と風景を存分に見た。ひとつ悔しかったのは、人間ってどうして目が二つ、脚が二本しかないのか、それでは、どうしても足りないんじゃないかということだった。

 

五日目から萩原さんの家に泊まった。そのときは、「あの可愛い双子がいるお家に泊まるの?」と同級生にうらやましそうな目で見られた。マコちゃんとミコちゃんがいる萩原さんの家は、一人っ子の中国の家庭には見られない賑やかなものがあった。「やはり、家族って人が多いほうが実感できるものだな」と思った。しかし、ご主婦の大変さも分かった。妊娠している奥様は二人のお子さんの世話をするだけでなく、私の世話も親切にしてくれた。「本当にお疲れ様です。私のことをそんなに気になさらなくていいですよ。」といいたいところだった。さんざんご迷惑をかけたので、何とか奥様に休んでもらおうと思って、一晩同級生のところに泊まった。帰ってみたら、奥様が元気な顔をしているのをみて、ほっとした。

 

そのとき、日本のどこを見物したかより、日本人の心を感じ、異なる言葉を使っている人と心を分かりあえる喜びが遥かに大きいと感じた。一生忘れられない思い出だ。ページの都合で、多くのことを書けないが、中田さんご一家と萩原さんご一家に世界中どこででも聞こえる声で「ありがとう」と言いたい。