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第十七回 松山に住んでみた(四)−−日本人の贈り
2004年 9月 3日10:47 / 提供:

趙星海

 贈り物を受けるのはうれしい。これには中国人も日本人も変わりはない。しかし、あまり高い物を受けると、うれしいどころか、かえって負担になってしまう。これは日本人の考え方で、中国人はそう思っていない。

 私は松山にいた時、時々中国にいる妹と連絡をするが、その当時は、妹の家にはまだ電話がないため、隣家の所へ電話をして、呼び出してもらった。お世話になったから、何かお土産を買ってあげようと思って、ある日電話する時に、お土産を送りたいが、何がいいですかと聞いた。相手はしばらく考えた後、だったら、ステレオのテープ・レコーダーを買ってきてください。と言うのだ。その当時、ステレオのテープ・レコーダーは最低三万円はする。単なる妹の隣家で、私とは友達でもなんでもない。ただ何回妹を呼び出してもらったぐらいで、ステレオのテープ・レこーダーはあまりにも高いじゃないか、と電話を切ってからは思ったが、その咄嗟の間は、受話器を耳に押し当てたまま、言葉を失ってしまった。

  あまり安い物は恥ずかしくて出せないと中国人は思っている。

  松山には、私のことを自分の息子のように思ってくれるおじさん夫婦がいた。最初松山についた時、私の部屋には電話がついていなかった。その時分は電話をつけるのに八万円もしたので、私はつけなかった。これを知っておじさんは“はやく電話をつけなさい。電話がないと不便だ。”また“お金の心配はするな”と言って、翌日に電信局に申し込んでくれた。

 ある晩、おばさんから電話があった。あす野菜を持っていくから家で待ちなさいとのことだった。野菜はすぐ下で買えるし、持ってこなくていいと言ったけど、自分で作ったものだからと言って聞かない。

 おばさんの家は松山の郊外にあって、私の住んでいる萱町まで、バスで20分ほどかかる。松山ではバスで20分の距離は遠い方だ。野菜なんかわざわざ持ってこなくていいのに、まして狭い部屋だから置き場もない。でも、そうたくさんは持ってくるまいと思い、置き場の心配はなかったが、遠いところからわざわざ野菜を持ってきてくれるのは気の毒だと思った。

 翌日午前、ドアのベルが鳴った。おばさんが来た。おばさんは“大根を持ってきた。”と言ってビニール袋を私に渡した。見ると、ビニール袋には一本の大根と、葱が二本入っていた。この大根一本と葱二本のために、バス代を払って二三十分もかけてやってきたおばさんのことがどうしても理解できなかった。

  日本人の贈り物はささやかな物でも、包装だけはきれいにしてある。初めて日本人からの贈り物を受ける中国人は、きれいな包装を見て何が入っているのかと楽しみにしながら、何重にも包まれている包装紙をあける。通常は、あまり喜ばれる物は入っていない。

  私もよく日本人から贈り物を受けるが、大低はお菓子、漬物などが多い。中にはわりあいに高いお菓子もある。同じお金を使うのだったら、ほかの物を買ってきたらと思うのは私だけではない。

  日本にいた時、私はほとんど毎年一回は一時帰国するが、そのたびに土産を買って帰る。最初の時は、電卓とか、時計などを買って友達にあげたらみんな喜んでくれたが、だんだん中国も物があふれるようになり、喜んでもらえる土産を探すのに苦労するようになった。

 もちろんお金さえ使えば苦労はしなくて済むが…… 日本では毎年中元と歳暮になると、お中元を贈るやら、中元大売出しやら、お歳暮を贈るやら、歳暮大売出しやらで日本全国が沸き立つくらいだ。

 統計によると、日本人が中元や歳暮に使う金は、八十年代は、一件平均五千円だったが、九十年代に入ると、平均三千円になった。日本人の平均月給二十五万円にして計算すれば、中元や歳暮に使う金は月給の八十分の一もなっていない。

  中国でもお正月になると、お世話になった人とかに土産を送る。平均金額はわからないが、百元は少ない方だ。一元が十三円だすれば、千三百円だ。中国人は月給千元もらうのは決して一番低い方ではない。

 こう計算してみれば、中国人が土産に使う金は月給の十分の一になる。相手が十人いたら、一ヶ月の給料がなくなる。このように、義理人情が大きな山のように中国人の上に強く圧し掛かっている。

 こうして比べてみると、日本人の贈り物に対し、どうこう言うべき筋合いはない。