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(斎藤 彰)
日本では高田賢三のブランドを扱うアパレルに勤めていた
「やはり中国は、日本と違い何かにつけて大きさを感じます」という甘中忠幸さんは、現在五七歳。二〇〇四年から、上海の企業、上海長喜集団で副総経理(副社長)として、日本企業が中国に進出する際のコンサルテイングから事務所、住宅、工場の仲介、建築内装、中国での各諸手続き依頼の窓口役を務めています。
日本にいたとき、甘中さんは、デザイナーの高田賢三らのブランドを取り扱う中堅アパレルに二一年間在籍し、取締役事業部長、取締役開発室長などの役職を歴任していました。その後、内装・デイスプレイ企業のアスクプラン二ングセンターへ転職し、そこで中国と深いかかわりをもつことになります。
上海の成長ぶリをみて中国で仕事をしたいと思った
「アスクプランニングセンターは、中国に合弁会社をもっていて、そこの副総経理を私が任されることになりました。それで、一九九九年から、杭州を月一〜二回訪れるようになったのです」。
杭州へ行く途中に立ち寄る上海の成長ぶりに刺激を受けた甘中さんは、次第に中国で仕事をしたいと思うようになりました。中国での就職先を探すため、人材紹介会社への登録も行なったといいます。
「最終的には上海在住の友人の紹介で、今の職を得ました。中国で働くことは二〇〇〇年頃からの強い希望だったので、家族からの反対は特にありませんでした」。
念願をかなえた甘中さんは、上海での仕事、生活を存分に楽しんでいるようです。
「上海は刺激的で活力を与えてくれますし、第一線の現場で仕事をできる喜びがあります。また、近隣のコンビニ、スーパー、美容室などの若い中国人が親しみをもって接してくれるのも嬉しいですね」。
甘中さんは、中国で今までに経験したなかで最も思い出に残っている話として、中国人との心のふれあいを感じさせるこんなエピソードを語ってくれました。
「通訳を連れず、緊急に一人で無錫に行かなければならなくなったことがあります。電車内で切符を買うために並んでいたら、親切な鉄道警察員が、優先的に切符を買えるよう誘導してくれたんです。その後、その鉄道警察員と顔をあわすと、いかつい顔で笑ってくれるんですよ」。
存在感のある仕事ぶリを示すことが中国では大切
「人間、不可能なことはない」という信念のもと、甘中さんは、どんなことでも労を惜しまずに、いつも自ら積極的に動きます。
「日本人スタツフは中国人と同じ時間を働きながら数倍の報酬を得ているため、社内においても存在感のある仕事ぶりを示さないと中国人スタツフから反感が出ます。極端ですが日本の常識は中国の非常識と考えたほうがよいでしょう。ジヤパニーズ・ローカル・スタンダードは通用しません」。
中国への進出を計画している日本企業の相談に乗るときに最も仕事のやり甲斐を感じるという甘中さん。中国で仕事をしたいと考えている人へのアドバイスを求めると、こんな答が返ってきました。
「中国人を好きになること。日本人同士でかたまらないで、言葉ができなくとも積極的に中国人と接触することですね」。
(編集:張雪蓮)
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