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第二回 ある中国語教師のこと
2002 -12 - 24   11:39

作者:竹田 稔和

 

6年前、私は福岡日中友好協会で中国語を始めた。大学院入試のためである。

私の班の先生は、吉竹という小柄で初老の男性だった。吉竹先生は執拗に生徒の発音を直した。例えば「餓」という単語。私はいつも「アー、アー」と赤子のような発音になる。「日本語にはそんな発音はないのだから仕方ない」と私は抗議した。すると先生は「君、酒飲むやろ、二日酔いになるやろ、あれよ」といって白目をむき、嘔吐する真似をした。つまり嘔吐するように喉の奥から「ウァー」と声を搾り出すのだという。そのゼスチャーと解説に皆大笑いしたが、私は笑えなかった。入試で大事なのは文法、翻訳。嘔吐までして正しい発音をする必要など全くない。だから発音重視の先生の授業には閉口した。

だが、しばらくして疑問が湧いてきた。なぜ先生は発音に拘るのか。この疑問が私を先生に接近させた。先生もそんな私を拒もうとせず、近くの飲み屋へ連れて行き、色々聞かせてくれた。京劇に惹かれ中文科に入ったこと、日中戦を戦った父上と激しく対立したこと、アカとして警察に睨まれたこと、文革賛成派に罵倒されたこと、そうした困難の中で残留孤児の世話を続けたこと、彼らと交流するために懸命に発音を磨いたこと、国交回復前に福岡を非公式訪問した京劇のスター・梅蘭芳の「鳥でさえ日中間を往来している、なぜ人にそれができないか」という言葉が今も胸中にあること……。

私にとって語学とは試験の一科目であり、試験とは競争であった。勝者は敗者を蔑み、敗者は勝者を嫉む。ここに交流はない。言葉とは本来、人と人を結ぶためのものである。吉竹先生に会わなければ、そんなことも私は知らぬままでいただろう。むろんその交流が容易ならぬことは、この一年中国で暮してみて痛感した。一生懸命話しても、「听不?!」と吐き捨てるようにいわれる。影で「小日本」と言われたことも何回かある。日本語学科の学生が作った富士山の看板に大便の落書きがしてあるのを見たときは、さすがに悲しくなった。

中国語、中国に幻滅を感じるのはしばしばである。その幻滅感が強くなればなるほど、吉竹先生のことが懐かしく思い出される。すると不思議に、あの頃の疑問が脳裏に甦ってくる。先生はなぜ発音に拘るのか、先生が生涯をかけて愛そうとしている中国とはどんな国なのか……。こうした疑問が、これからも私を中国と関わらせていくだろう。

 
 
 

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