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2004年の年末、東京から上海に夢を見つけに来たちょっと変わった普な日本人、P谷孝一夫妻をインタビューしたことがある。二人は日本の生活にあきたため、家を売り夢をもって上海に来た。半年間経って、二人は上海のライフに適応したかどうか、あるいは、新しい仕事を見つけたか、P谷夫妻を再訪した。
隣近所に暖かい関心を寄せてもらう
上海に来たばかりの時と比べて、P谷夫妻は現在、付き合いも広まってきた。彼久光(SOGO)デパートのスーパーにおいしいサンドイッチを買いに行ったり、徐福記の果物付きのお菓子に興味が出てきたり、タクシーを拾うのことも慣れた。また、中国語で「?傅,去**路**路口(すみませんが、**路**の交差点へいってください)」と、すらすらと話していた。
P谷夫妻によると、四月十六日朝、隣近所の中国の友人は自宅のドアを叩いて、「今日は出かけないでね。人出が多いので、安全でない」と言った。向こうの日本語がよいとは、言えないが、心配している気持ちは分かった。簡単な会話をした後、二人は依然として何が起こったのか分からない。話しの相後、隣近所の友人に感謝して、やはり計画通りに出かけた。
「当日の夜、メールや電話をたくさんもらった。日本の家族がニュースで見たのはわれわれが見たことより厳しく、両親はすぐに帰国するかどうか、心配して聞いた」。二人は討論した結果、帰らないことにした。
好きだからこそ、中国に来た
幸いなことに、この風波はすぐに治まった。P谷夫妻は日本語専門学校の学生に、「あなたは、日本の右翼をどう思うか」と、質問をされただけだった。
実は二人は、中国で日本語教師になって以来、数え切れないほど同じ問題を聞かれた。もちろん、今度もまた、まじめに自分の立場を話した。「私たちは政治を無関心なので、日本でも無関心だし、中国に来ても無関心だ。日本の右翼に対するへ見方と言えば、好きではないというしかない。しかし、肝心なのは、中国や上海が嫌いならい、どうして遠くから上海で働き勤、生活し、夢を見つけにくるだろうか?」と答えた。
ほとんど一日だけで、穏やかな生活がに戻ってきた。P谷夫妻はいつものように自分で開催する情報交流会のためにあちこちと奔走している。同情報会は上海に滞在する日本人に向けたサロン的な集まりだ。毎回、P谷夫妻がにある日本人を呼び、皆と中国での勤務体験を分かち合う。第1回の講座は「どのように中国人と深く交流するか」だ。
われわれは変わらず仲良しだ
先週の火曜日にインタビューした時さ、ちょうど情報会が開かれた。夜七時、上海に滞在する日本人二十人ほどが情報会に参加した。基調スピーチは展覧会に詳しい日本人が行った。スピーチでは『愛・地球博』という愛知万国博覧会を手本をとして、2010年上海万博に多くの提案を提出した。さらに、表をつくって、上海は次の数年間で、どのようなことを準備すべきかなどを提起した。出席した人たちは真剣にメモを取っていた。
情報会の始まりに先立ち、その日本人は同短い話しをした。「四月十六日は忘れがたい日だった。当日、日本からたくさんの電話とメールをもらった。同時に、中国の友人からの情報も受けた。両国間で、何か起こっても、変わらず仲良しだと言う話は胸にしみじみとこたえた。だから、いずれにせよ、皆が前向きなるよう期待する!」と述べた。
夫妻は入り口で静かにこの話を聞いていた。風波は過ぎ去った。それは、ここにいる人たちの身辺では、これまで起きなかったことだったが、上海で勤務する日本人は依然として、各自の職場で働いている。生活は、すこし影響を受けたが、現在は、波静かな海面ような普通の生活に変わりはない。
(編集:張 梅)
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