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第二十一回 「私は上海で生活していきたい」今井さんは上海に残るために日系企業を辞めた(下)
2005 -5 - 8   10:36

上海に残るため辞職する  

 このようにして3年が過ぎ、今井さんは知らず知らずの間に日本へ帰国する回数が減り、上海が自分の家になっていった。しかし、思いがけなく、会社の異動命令で、今井さんは東京へ戻らなければならなくなった。日本のサラリーマンとして、会社の命令従うのは基本原則である。上海を離れなければならなくなることを思い、今井さんは受け入れられないと感じて、辞職を申し出た。今井さんの上司は非常に驚いて、あなたはよく考えろ、中国語を話せないから、上海では仕事を探しにくいのだと、説得した。今井さんは躊躇せず、「羨ましい仕事」を放棄した。

 辞職した後、会社はすぐマンション賃貸料を払わなくなった。ホテル式マンションは快適だが、毎月2000ドルの賃貸料は、明らかに今井さんにとって大変だ。南京西路そばの居住ビルに引っ越し、毎月の賃貸料は3500元となった。すぐ再就職でき、家賃を負担することができることを信じた。

 しかし今井さんは、中国語を話せないため、元のような心地よい仕事はみつけにくい。半年の失業期間で、だんだん経済が緊迫してくることを感じ、さらに安い家に引っ越すことを決心して、友達の助けで、今井さんは3回目の引っ越をした。

 家を探す経過を思い出すと、今井さんは感無量だ。ある時、華山路の一戸建てが気に入った。もちろん、借りる部屋は人部屋だったが。上海の友達は、古い家はかなり陰湿で、その上、洗面所も共同使用しなければならないと話した。しかし、今井さんは上海の古い家が特に好きだったため、断固として借りることにした。上海人の大家の家族と台所とトイレを共同使用して、「72家の借家人」を体験した。しかし、さほど時間がたたないうちに、やはりまた引っ越した。同じ家に住む人が本当に多すぎ、そして部屋も防音が悪く、睡眠に影響したからだ。でも彼女は、チャンスがあれば、やはりもう一度上海の古い家に住んでみたいのだ。

 就職浪人だったが、想像したほど辛くなかった。上海にいた友達は皆とても熱心に、適当な仕事を探すのを手伝い、家探しも手伝ってくれ、一緒に街をぶらついて、観光もした。普通は上海の大家とのコミュニケーションが不便なので、電話をかけて中国の友達を呼び通訳してもらう。  

両親が上海が好きになるように望む  

 経済上は以前ほどゆとりがないが、今井さんは生活がさらに充実してきたと感じる。毎週、今井さんは梅龍鎮広場の映画館で映画を見て、家でも各種のDVDをいっぱい置いている。その中には日本でも見られない映画も多く、例えば、「黄昏清兵衛」は、DVD で見た。

 昨年末、今井さんはついに再び就職できて、販売の仕事をしている。仕事はとても大変で、報酬も以前ほど高くない。しかし今井さんはとてもうれしくて、まじめに働いて、順調に第1四半期の目標を完成した。

 日本の家族たちは、この数日、電話の中で今井さんに日本に帰るように勧めるが、今井さんはやはり上海に残りたい。「メーデー休暇」の長い休暇で日本に帰り、両親を見舞って、同時に両親を何日か上海に招くことを考えている。両親に上海を見せて、安心させる。

 両親もここが好きになるようになると思っていると、今井さんはにこにこして話した。

(編集:沈偉麗)

 
 
 

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