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渡辺宏治(写真も)
この国慶節の休みを利用し、北京に行ってきた。
上海に来て2年になるが、北方はとんと足を伸ばしたことがなかった。飛行機のチケットも思ったより楽に取れ、中国国内の交通機関も計画的に整備されてきているように感じる。この時期宿の確保も心配だったが、調べようによってはいくらでも出てくる出てくる、結局宿泊したのは修学旅行用のホテルみたいではあったが(門限がある)睡眠をとるという目的は達することができた。

北京では万里の長城、故宮などお決まりの観光コースをまわる。長城の景観もさることながら、その人の多さに圧倒された。ほとんど崖とも言える長城の坂道も、朝のラッシュのような人で埋め尽くされ、上で一人こけたら必ず大惨事を引き起こすであろう事は容易に想像できる。前を行くおばあさんの足元を気にしながら一歩一歩と足を運ぶ。悠久の感慨に浸るつもりで行ったのだが、集中力散漫な私には十分に中国四千年の歴史を堪能できなかったのが悔しい。こんどは時間と場所を変えて一人こっそり行ってみたいものだ。
故宮博物館。古の紫禁城。そのいくつもの宮殿のひとつ、皇帝の座席の上にかかっていた額に非常に興味をそそられた。そこにはたった2文字、「無為」とだけ書いてある。有為の世界の頂上に立つものの座席の頭上に世界を見下ろす用に厳然と掲げられたこの2文字は、はたして何を意味するのであろう。

皇帝は何もせずとも季節はめぐり平和は続くという理想の世界か、あるいは皇帝に政治をさせずに俺たちがいいようにやるぞという家臣の願いか。学の浅い私はそんな取り止めのない想像をしながら押し合いへし合いの人ごみの中にたたずんでいた。
帰りは天津を経由してきた。天津にも北京の王府井や上海の南京東路に負けない大きな商店街や、襄陽市場よりもおおきな洋貨市場などがあり、賑わいも引けをとらない。私も仕事柄学問の神様には媚を売っておかないといけないので、街中の文廟というお寺に立ち寄り参拝した。わずかとは言え参観料を取るお寺だからだろうか、中はがらんとしてほとんど人がいない。閑散とした空間の中で崩れかけた土塀や当時のままの建造物を見やりながら思いを古にはせ、自らの来し方行く末を重ねてしばし思索にふけっていた。
日本ではどこでも寺社の境内で体験できるこのような時間が上海に来てからはまったくなかったことに改めて気づき、ゆっくりと自分を見つめなおすことができた。今回のたびは期せずして天津で大きな収穫を得た。
寺の出際に、ちょっと厠を拝借した。
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つかの間の哲学的思索もここで一気に現実に引き戻された。参観料はちゃんとこういう所に使ってほしいものである。中国政府の最優先項目として、ぜひとも全国のトイレ清掃を挙げるべきだ。
今回の旅も、結局世俗のにおいから離れることはできなかったか。今日からはまた上海の雑踏にしばし埋没するとしよう。
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