チャイナ?ドレスデザイナーの「皇后」、李霞芳女史に聞く
――このステージに数百着もの「旗袍」が登場したのは珍しいですね?
初めてだそうです。私は猫の手も借りたいほど忙しいですが、実現できてとても嬉しいです。
――いつから「旗袍」をデザインし始めたのですか?
1998年から東華大学で高級服装設計を専攻し、中国の服飾文化の研究に取り組みました。研究を続けるうち、やはり「旗袍」が東方女性の魅力を引き出し、世界的なファッションショーでも注目を集めると思いました。
――デビュー作は何ですか?また、その後の実績を教えてください。
1999年、上海東方航空会社のユニフォームをデザインしたことを皮切りに、2000年、北京で行われた国際航空服装服飾博覧会で、「21世紀航空服装宿星賞」(老練のスター賞)を受賞し、「郁金香奨」(チューリップ賞)カップをもらいました。
――テレビドラマのヒロインにも「旗袍」をデザインしたそうですが、、、。
あれは、「情深深雨濛濛」(愛情が深くしとしとと降る霧雨)というテレビドラマでヒロイン役を演じる趙薇さんと脇役を演じる林心如さんに「旗袍」と礼服をデザインしました。
――かつてアメリカのヒラリ?ファーストレディに「旗袍」をデザインしたことがあるそうですね。そのいきさつをお聞きしたいのですが、、、。
2000年、アメリカの「文化」という雑誌の記者が私にインタビューしたとき、当時、参議員選挙中のヒラリ?ファーストレディに「旗袍」をデザインしてみたらどうかと提案され、私は引き受ける事にしました。翌日、同記者からヒラリ?ファーストレディの身長やスリーサイズ、及び好きな色などのデータをいただきました。私は「旗袍」のボタンに「中国結び」(糸で作った吉祥のシンボルの飾り物)をデザインし、そこに「2000?NY」という文字を刺繍しました。この「旗袍」はヒラリ?ファーストレディが持っていらっしゃる数千着の衣装の中で特に目立っており、その後、華僑選民から支持を獲得するのに一役買ったそうです。ヒラリ?ファーストレディは大喜びで、私に「親愛なる李女史:本当にありがとうございました。2000年、私にとって記念になる年でした。心より感謝申し上げます。」というお言葉をくださったと同時に、アメリカでのお祝いの式典イベントの招待状もくださいました。
――日本を訪問したことはありますか?
1992年、私は「蜂花芸術団」の団長として代表団を率いて日本の熊本、吉岡などを訪問し、演出しました。
――李さんは中国版の「おしん」だと言われたそうですが、、、。
1987年、私が「蜂花芸術団」を創立させてからの4年間、上海市内での演出を監督する際、タクシーなど使わずほとんど自転車で移動していたため、「おしん団長」と褒められたのです。自分ではとても光栄に思っています。
――今、まさに時の人ですね。いろんなイベントを開催していらっしゃいますが、今後、新しいスタイルの「旗袍」を日本で披露する予定はございますか?
そうですね。今、私個人の名前で「上海霞芳中華服飾研究交流センター」、「上海霞芳旗袍有限会社」、「上海霞芳旗袍製作所」の社長を兼任しておりますが、また、「上海霞芳芸術団」の団長、「上海音楽会協会」の会員、「上海演出家協会」の理事でもあり、忙しい毎日を過ごしております。もしチャンスがあれば、日本へも「旗袍」を紹介しに行きたいですね。
( 聞き手:章坤良 )
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