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「日中協力新体制の構築と国民感情の改善」=川村範行氏
2008 -11 - 25 17:38

日中平和友好条約締結30周年記念シンポジウム「日中新時代を築く 戦略的互恵関係の課題」

基調報告「日中協力新体制の構築と国民感情の改善」

川村 範行(日中関係学会理事、中日新聞・東京新聞前論説委員、中日新聞社出版部長)

 

一、はじめに 

 日本と中国の関係は21世紀初頭に歴史上、新しい時代を迎えている。日中両国が政治的、経済的にアジアにおける二大強国として並び立ち、競争と協調の段階に入ったのである。日中関係は単なる二国間関係の枠にとどまらず、アジアの平和と安定にこれまで以上に重要な役割を果たすと共に、世界の平和と安定に一層関係を深めることが予想される。両国は伝統的な日中友好関係を基礎に、新たに互利互恵を目指す「戦略的互恵関係」の枠組みを政府首脳レベルで確立したが、双方の連携協力を抜きにしては戦略的互恵関係の推進は「絵に描いた餅」に過ぎない。両国が二国間の諸問題を対立に発展させず話し合いで解決するメカニズムを構築するとともに、アジアでの地域協力を促進し、世界規模の課題に共同で対処する体制を整備することを求めたい。そのために両国間の相互理解・相互信頼の増進に向けて、国民感情の改善に取り組むと共に、両国内に台頭する排外的ナショナリズムの克服、さらに根本的にはそれと密接不可分の「戦後和解」への本格的な努力が必要である。

 

二、脱「政冷経熱」から戦略的互恵関係へ

1、首脳往来による関係好転 振り返れば、2001年から5年半、小泉純一郎元首相による靖国神社参拝強行を巡って日中関係が停滞し「政冷経熱」と呼ばれた。06年10月の安倍晋三元首相による訪中「氷を砕く旅」、翌年07年4月の温家宝総理による訪日「氷を溶かす旅」、さらに07年12月の福田康夫前首相による訪中「迎春の旅」に続く、08年5月の胡錦濤主席の訪日「暖春の旅」によって首脳往来が軌道に乗り、日中関係を好転させることができたことは重要だ。麻生太郎新政権のもとでも首脳往来を継続し、好転した日中関係を後戻りさせないことが求められる。

2、胡錦濤主席訪日の成果 08年5月に胡錦濤主席、福田康夫前首相の首脳会談で「戦略的互恵関係の包括的推進」について日中共同声明を発表したことは、日中関係の歴史に刻まれよう。日中両国の将来に向けた「平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展」(日中共同声明)の原則を確認しただけでなく、「日中両国がアジア太平洋地域と世界の平和、安定、発展に大きな影響力と厳粛な責任を持っている」(同)との認識を共有したことは極めて意義深い。これは日中両国が従来の二国間関係から国際社会における日中関係になったことを政治文書で公式に認め、日中両国が歴史上初めてアジアの強国同士としてアジア及び国際社会の中で協調と貢献を果たしていくことを宣言するものである。その実現のために日中両国間の戦略的互恵関係がエンジンとして重要な役割を果たす。

 

三、国民感情の改善

日中関係は政治外交面では好転したといえるが、国民感情の問題が根強く残っている。中国国民の対日感情は07年から08年にかけて顕著な改善がみられたのに対して、日本国民の対中感情は悪化したままだ。今後の日中関係を国民レベルで軌道に乗せていくには、国民感情の改善が深刻な課題である。

 1、対中感情の経緯 原因をさかのぼって分析する。日本国民の中国観は1972年の国交正常化以降、中国に好感を持つ人が最高時で70%以上と好意的だったが、現在は20%前後と低迷している。1989年の天安門事件を分水嶺に急激に悪化したことが挙げられる。91年には西側諸国の中で日本が最初に中国への経済封鎖を解禁し、日本企業の中国進出も盛んになり、中国観は一時的に改善した。だが、96年に橋本龍太郎元首相の靖国参拝に対する中国側の対日批判再燃をきっかけに低下、98年に江沢民前国家主席訪日の際の歴史問題発言を巡り、違和感が広がった。2000年に訪日した朱鎔基前首相の率直な市民対話により一時的に親近感が戻ったが、04年のサッカーW杯での反日騒動や05年の反日デモによる北京大使館・上海総領事館の破損により反中ムードが一気に強まった。この間、小泉元首相が靖国神社参拝を毎年強行したことに対する中国側の批判により、双方の国民感情が悪循環に陥ったことが大きく影響している。さらに08年に入り中国製餃子中毒事件に続く汚染米問題、メラミン汚染牛乳問題により中国製食品の安全性への不信が広がったことが新たな要因となった。チベット暴動を通じて少数民族政策に関連して中国の人権・民主状況への疑問が強まったことも影響している。

2、対中観悪化要因への対処 対中観悪化の主な要因は以下の5項目挙げられ、両国の政府レベルや関係機関での対処を求めたい。

(1)歴史問題(靖国神社参拝、歴史教科書)は日中双方の排外的ナショナリズムを刺激する敏感な問題であるが、日中首脳が政冷経熱の苦い経験を経て靖国参拝問題を日中関係の障害としないことを共通認識したことを基本にして、今後も賢明な態度で臨むべきである。この問題は戦後和解と表裏一体であり、後述の「戦後和解」の中で詳細に論じる。 

(2)主権問題(東シナ海ガス田開発、尖閣諸島領有権)は日中双方の外交ルートや政府関係機関などで協議が発足しており、対立を深刻化せず理性的な話し合いによって解決を図る必要がある。

(3)人権問題(チベット騒動、少数民族対応)は中国にとって少数民族対策とも関連して複雑な内政問題だが、中国は国連人権規約に署名しており国際社会の不信感を払拭する責務がある。

(4)食の安全(中国製餃子、汚染米、汚染牛乳)は日本だけでなく国際社会からも「中国食品への警戒感」が広がっており、放置すれば中国への不信感につながるため、安全検査や輸出入体制の徹底を急ぐ必要がある。

(5)環境問題(黄砂、海洋汚染など)は日中双方の政府関係機関や研究機関などで取り組んでおり、共通の課題として解決を図ることが必要である。日本は公害防止に取り組んだ先進国としての経験と技術を中国に伝えることにより、中国の環境改善にも寄与できる。

3、中国への不安・脅威感 先の5要因に関連して日本国民の間には中国に対する不安感、脅威感が広がっている。根底には中国の政治体制と政策決定のプロセスが不透明であることへの違和感がある。

(1)ひとつは安全保障上の脅威である。中国の軍事費が年間二桁台の増加率を続けており、海洋への軍事進出の動きが懸念される。日本は2004年に初めて、日本の安全保障にとって主要な潜在的脅威として中国と北朝鮮に言及した。中国の台頭と北朝鮮の脅威を理由に日本国内の排他的ナショナリズム傾向が強まったことは否めない。05年に日本外務省と米国国務省の日米共同声明で、台湾の立場を平和的に解決することは日米の共通戦略目標であると指摘した。米中の軍事ホットラインは083月に実現したが、日中間にはまだない。誤解やトラブルを防止するためにもホットラインの実現を強く指摘する。中国は21世紀に入り国防白書を公表するなど閉鎖的な姿勢を転換しているが、軍備拡充の意図と目的が不透明であることが日本その他の国々の不信や脅威を引き起こしており、この点の透明化を図るよう要望する。胡錦濤主席は08年5月に早稲田大学での講演で中国が将来「平和発展の道を歩む」ことを表明しただけでなく、中国の指導者として「防御的な国防政策を採り、永久に覇権を唱えない」ことを明言した。21世紀に入り中国の指導者が反覇権と覇権放棄を明言したことは重要であり、中国脅威論を和らげるのに一定の役目を果たすだろう。

(2)ふたつ目は中国の資源外交と一体となった海外進出である。天然資源がらみの大規模海外投資を行ってきた地域では、中国の政府や国有企業が関わっている。紛争国のスーダン、コンゴ、エチオピア、ソマリアなどへは中国が政府援助や武器輸出などと絡めて資源開発を進めている。国際社会から批判と不信をもたれているのは事実であり、中国自身が「倫理なき資源外交」を改める必要がある。

4、マスコミの姿勢 日本の言論NPOと中国側との共同調査では、両国民とも大多数がメディアを通じて相手国の情報を得てイメージを形成している。メディアの報道による影響は大きい。「日本のマスコミが中国への不信・対立を助長している」との指摘もある。確かに、日本では1990年代から反中傾向の書籍・雑誌が目立つようになった。それは上述のような日本国民の対中感情の推移を反映したものといえる。

(1)中国側当局の情報管理的な姿勢・対応にも原因の一端がある。四川省大地震の発生直後には中国メディアとともに外国メディアの現地取材も許可され、世界に生の状況が刻々と伝わり、国際社会の救援活動や募金活動を促す効果があった。だが、途中から中国メディアへの報道統制及び外国メディアへの取材制限が行われ、外国メディアの多数はこうしたことへの批判へと変わってしまった。中国政府は社会の安定を第一に考えた措置であるが、外国メディアの好意的な報道を継続する機会を自らつぶしてしまったといえる。また北京五輪は運営面ではIOCの高い評価を得たが、五輪期間中に東京新聞・中日新聞カメラマンなどが新彊ウイグル自治区のテロ現場で公安関係者から暴行を受けて負傷するなど、暴力的な取材妨害があったことは遺憾である。今後はこうした取材制限をなくすようにすべきである。

(2)日中双方のメディアは相手国の実情を理解し、客観的に公正に報道する姿勢が大事である。四川大地震の現場で取材した東京新聞・中日新聞の特派員が08年5月27日の朝刊に「中国市民 取材支えた」との見出しで、「市民がバイクに乗せてくれたり、パソコンと携帯電話の電源が切れたとき被災者が仮設家屋の電源を貸してくれた」「成都市内のデパート店員が『服も下着も全部プレゼントします。日本人が関心を持ってくれることにお礼をしたい』と言った」との署名入り長文記事を書いた。記者と市民の心の交流をとらえた客観・公正なこうした記事こそ、両国民の相互理解につながる報道である。インドのネルー元首相が1950年に開かれた太平洋会議で西側の代表を前に次のように演説したことを想起する。「われわれの経済、社会、政治あるいはその他の問題を討議したところで、大して我々を理解されることにはなりますまい。もう少し深く見、アジアの心の中にあるこの苦悩を理解して下されなければならない」と。日本のメディアは日本や西側の基準だけで一方的に中国を批判するのではなく、中国の発展途上の苦悩を理解したうえで是々非々で問題点を指摘していく必要があろう。中国のメディアも旧態依然としたステレオタイプ的な日本批判から脱する必要がある。

日中双方とも相手国の実情について理解不足による報道が悪影響を及ぼす。私はかねてから相手国の国情を理解するために年間1千人規模の記者交流を提言している。特に日本の第一次情報が乏しい中国地方紙の記者と、日本の政府・与党・官僚からの情報に多く接する日本の政治部記者の相互派遣は是非必要である。「百聞不如一見」を通して相手国の実情を理解し、報道に役立てることができると確信する。

 

四、戦後和解への努力 

1、日本人のアジア蔑視 日本国民の対中感情を掘り下げれば近代以降の中国及びアジアに対する意識と深く結びついている。日本人の間では戦争体験者が高齢化し、戦争の悲惨さを後世に伝えることや加害者意識の継承が困難になってきている。加えて、日中戦争や太平洋戦争について日本は▽やむ終えない戦争であった▽アジアの被植民地を欧米列強から開放する戦争であったーなどと正当化し、侵略戦争と認めない傾向が、若手の保守政治家や有識者の間で顕在化している。朝鮮半島や台湾での植民地支配に対してもインフラ整備や教育制度の確立などの功績を強調し、植民地支配を正当化する言論風潮が一部に出てきている。潜在意識には明治維新により欧米をモデルに急速に近代国家を確立した日本が、「脱亜入欧」の国家路線とともに中国や朝鮮半島などに対する優越感を抱き、アジア蔑視につながる意識を蓄積させたことにさかのぼる。中国文学者の竹内好は、中国人を見下す「日本人の中国人に対する侮蔑感」について、「この侮蔑感は歴史的に形成されたものだ」「日清戦争前の畏怖感を裏返しにしたものである」(「日本人の中国観」)と分析している。私はこうした日本人の潜在意識の上に、最近大国として急速に台頭してきた中国へのやっかみ、中国への脅威・不安などが重なっているとみる。

2、エリゼ条約 根本的には日本側を中心とした戦後和解への取り組みが必要となる。そのためには、かねてから私が主張しているが、独仏両国が戦後和解のために1963年に締結したエリゼ条約に学ぶところが多い。条約では@毎年2回の政府首脳交流A主要閣僚の毎年数カ月ごとの定期協議B外交重要事項の事前協議C毎年15万人規模の青少年交流などをうたった。このうち、今回の胡錦濤主席の訪日による日中共同声明で政治的信頼の増進として、年一回の首脳相互訪問の実現と安全保障分野のハイレベル相互訪問の強化をうたったことは評価できるが、今後はその回数を増やすことが望ましい。また主要閣僚の定期協議や関係省庁の実務協議を増やし、さまざまな政策テーマについて共同取り組みを増やしていくことが必要だ。与野党・中国共産党間、国会・全人代など多種多様な交流チャンネルを築くことも重要である。本格的な高校生2000人相互交流が2006年から始まり、今年は3000人規模に拡大されるが、今後さらに年間万単位への規模拡大を求めたい。また平和を祈念する宗教者の交流を化することを提言したい。

3、和解の実現 英国エコノミスト誌元編集長のビル・エモット氏が近著「アジア三国志」の中で「中国と日本と、日本の植民地として苦汁をなめた韓国との和解を実現するには、国家主席や天皇や大統領や首相が率先して、戦後数十年の間に過去を捨て去ったフランスとドイツに見習う必要があるだろう」「日本政府は何度も謝罪しているが、首相が靖国神社を参拝し、戦争中の残虐行為を閣僚が否定しているために、謝罪の真意を相手国に疑われているのがわからないだろうか?」と指摘している。日本人にとって耳の痛い指摘だが、同感である。

中国国内では戦時中の強制労働や従軍慰安婦に対し日本政府や日本企業を相手にした民間訴訟の動きが出ている。エモット氏は、ドイツのオットー・ラムズドルフ伯爵が提唱した「記憶・責任・未来」財団を見習うことを挙げている。これは2000年にアメリカ国内で旧ナチスの被害者による集団代表訴訟を制止する見返りとして、50億ドルの基金(ドイツ政府とドイツ財界が折半)を調査と補償に充てる機構として設立された。旧日本軍の行為について日本の司法での判断には限界があり、「記憶・責任・未来」財団を参考とすべきであろう。

4、歴史共同研究 日中歴史共同研究は2006年12月北京で初会合が開催され、08年までに3回会合が実現した。座長は北岡伸一東大教授と歩平・中国社会科学院近代史研究所所長の二人。古代・中近世史及び近現代史の二つの分科会で作業を進め、08年に研究成果をまとめる予定である。歴史認識については日中双方で隔たりもあるが、政治から切り離して共同研究のテーブルに着いたことは一歩前進と評価できよう。日韓歴史共同研究が05年に中間報告を出し、近現代史で対立する見解については両論併記としたことが参考になる。日中間でも異なる見解についてはまず、お互いの根拠となる史料、史実を確認するところから、「歴史事実」の共有と理解を進めていくことが必要だろう。日中関係の根底に横たわる歴史問題を放置したままでは、真の戦後和解を果たすことはできない。

5、先の日中戦争について胡錦濤主席は08年5月の訪日時に「中華民族に多大な災難をもたらしただけでなく、日本国民にも大きな被害を与えた」と指摘し、加害者、被害者双方の意識のバランスをとる配慮を明確に示した。敏感な歴史認識について「我々は歴史を銘記することを強調しているが、恨みを抱き続けるためのものではない。歴史を鑑として未来に向かうためだ。平和を守るためであり、日中両国民が子々孫々にわたって友好的に付き合い、世界各国人民が平和を享受するためのものである。」と、未来志向、平和護持の目的性を掲げたことが特筆される。

戦後フランスが大きな心を持ってドイツを許した。ドイツもこれに応えて政府首脳自ら被害国に許しを請い、和解と理解を得るためのさまざまな施策や取り組みを続けた。日中両国も、仏独のこうした姿勢と取り組みに学ぶべき点が多い。

 

五、日中新協力体制の確立

 1、アジアの地域協力 アジアの平和と安定のため日中両国が対話協力のメカニズムを確立し推進することが当面最も必要である。北朝鮮の核問題を巡る六カ国協議のプロセスの推進、東アジアの地域協力の推進は08年5月の日中共同声明でも明言したが、アジアの二強国としての責務を共有するとともに東アジア共同体を巡り対立しないことを確認した意味は大きい。05年12月に歴史上初の東アジアサミットで参加国の範囲を巡り、中国がASEAN10プラス日中韓3を主張し、日本が10プラス3プラス3(豪州、印度、ニュージーランド)を主張し対立した轍を踏まないことを肝に銘じるべきだ。ASEAN諸国は大国化する中国への警戒感を拭いきれないとともに、東アジアにおける日本の地位低下を憂慮している。今こそ日本は中国に連携を呼びかけてASEAN10プラス3の協力体制推進のサポート役を果たすときであろう。日本は安倍政権のときに中国を封じ込めるような「自由と繁栄の弧」政策や西側の価値観を共有する諸国との連携強化を目指す「価値観外交」を打ち出したが、これらは日中間の戦略的互恵関係とは明らかに矛盾する。日本の外交は以前から近視眼的とされ中長期的戦略性のなさが指摘されるが、対米従属で場当たり的な対中外交とは決別すべきときである。日中両国に韓国を加えた三カ国が中心となり、米ロとも協調して六カ国協議を東アジアの安全保障機構に格上げする取り組みを求めたい。

 2、世界の中の日中関係 日中両国は08年5月の共同声明で「日中関係を世界の潮流に沿って方向付け、アジア太平洋及び世界の良き未来を共に創り上げていく」ことを宣言したが、国際社会が直面している課題に今後は共同で対処する姿勢を積極的に打ち出していくことを強く訴えたい。世界は冷戦構造の崩壊後、米国の一極支配が続いたが、英国国際戦略研究所は2008年版「戦略概観」の中で世界の構造は流動的な「無極状態」が続くと指摘している。また米国は大義なき対テロ戦争の美名の元に国際法上疑義が強いイラク戦争を発動したが、イラク情勢は無秩序な状況に陥っている。米国主導による経済のグローバリズムの拡大により、金融・資源などを巡る「資本主義の暴走」に直面しており、国際社会はこれを食い止めなければならない。米国債の大量購入により米国経済を下支えしている日中両国は当面の金融危機に対処するためにもリーダーシップを取るべきだ。気候変動に関する国際枠組みの構築にも積極的に参加するよう努力すべきである。米国が利己主義から核不拡散条約(NPT)未加盟のインドの核開発を例外的に認めるという政策転換を図ったが、これは世界の核拡散を誘導する危険性を孕む。核軍縮・平和に向けて唯一の被爆国日本が中国と共に核拡散防止に取り組む必要がある。

 中国革命の父孫文は1924年に神戸で「大アジア主義」について演説し「世界文化の前途に対して、日本は西洋覇道の手先となるのか、東洋王道の干城となるのか」と説いた。竹内好は1961年の著書「方法としてのアジア」の中でこう提起した。「西洋をもう一度東洋によって包み直す、逆にこちらから変革する、この文化的巻き返し、或いは価値の上の巻き返しによって普遍性をつくり直す。東洋の力が西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する」。

力と功利主義に恃む西洋覇道が21世紀初頭に限界を露呈するとき、仁義道徳(徳と和)を以て対処する東洋王道の道が開けてくる。孫文が日本に呼びかけた王道を基礎とする「アジア的連帯」の21世紀版を再考するときである。

 

【参考文献・記事など】

 「日中関係の過去と将来」(岡部達味著、岩波書店) 「日本とアジア」(竹内好著、ちくま学芸文庫) 

 「鏡の中の日本と中国」(加々美光行著、日本評論社)「日中外交の証言」(中江要介著、蒼天社)

「アジア三国志 中国・インド・日本の大戦略」(ビル・エモット著、日本経済新聞社)

 「三民主義(抄)」(孫文、中央公論新社) 外交フォーラム 中央公論(20088月)、論座(同)

 中日新聞、東京新聞、読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞、人民日報、新民晩報、新華網、東方網

 

【川村範行略歴】

1974年、早稲田大学政治経済学部卒業後、中日新聞社入社。編集局社会部、外報部各デスク、上海支局長(1995年―98年)などを経て、2003年から東京本社(東京新聞)論説室論説委員。07年6月から名古屋本社出版部長。日本中国関係学会理事、日中科学技術中心理事、同済大学亜太研究中心顧問、鄭州大学亜太研究中心客員研究員、北京城市学院客座教授。著書に「日中関係の未来を築く」「アジア太平洋地区と日中関係」(ともに上海社会科学院出版社刊、共著)。
 
 
 

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