ニュース 上海概観 生活情報 ビジネス情報 留学
 
トップページ>>ニュース>>国際評論
 
中国における日本の本当の存在 (五)
2008 -5 - 17 15:27

 「困惑させ」と「不確定な面」

 日本社会は安定していて、中国は急激に変化している。わずか30数年前は、情況はその逆であった。その当時、日本は活気に溢れ、中国は死んでいるような静かな情況にあった。10数年来、日本人の心の中の新しい英雄は、いつも伝統的な武士道精神の継承者――第二次世界大戦が終わったことを知らず、ずっとフィリピンのジャングルの中で30年間遊撃戦をやっていた陸軍少尉の小野田寛郎さん、生命保険セールスの女王・柴田和子さんや名前が「ハルウララ」という何度も敗け続けた競馬馬である。いずれも、一見すると、同じものである。一方で、中国の英雄は張朝陽さん、春樹さん、李宇春さんで完全に異なっていて、唯一の共通点はこの乱れている浮世で成功を得たということである。

 近代化の旅の中で、中国の旅の箱には何があるか。小野千重子さんの言った通りであって、日本人はどのように今日の中国を理解するべきだろうか。

 中国おける日本企業の発展は1970年代の欧米での発展より、順調ではない。1992年、「ヤオハン」デパートが上海浦東に進出してから、日本の小売商は大量に中国に入った。イトーヨーカドー・ジャスコ・伊勢丹・三越などは、いずれも1996年前後に海を渡り、中国へ進出した。しかし、10年来、「ヤオハン」の破産を境にして、日本の小売商の中国で冒険は不成功となった。ピーク時に、イトキンは中国での生産基地とデパートが26店となったが、2007年8月までに青島の店は閉店した。さらに、中国での全ての業務を終えることになった。さらに早い時期には、日本資本が特別に愛着を持っていた上海で、日本の小売業の巨頭である伊藤忠の投資したデパートが開業半年後、休業してしまった。

 日本企業はもちろん中国で利潤と発展を得た。しかし、欧米企業より、生気が足りない。中国科学院のあるアンケートによると、同じ待遇でも、日本企業の中国人従業員は、欧米企業を選ぶことを望んでいた。――中国の若い人は、欧米人のようにゆったりして自由な環境で潜在力を発揮することを願い、日本人同僚のように忠実な終身雇用制度を望まないという。

 大学で、普通の学生達はgoogle中国やマイクロソフト中国の指導者の名前をよく知っている。しかし、ソニーの中国でのボスが誰か、中国人か日本人か。こうした問題は米国のネット会社のウェブサイトで調べるしかない。

 米国企業が、中国で順調に発展した道義さえも獲得したことに比べ、最近の8年間でも、日本企業は何度も泥沼に陥った。2000年の後、東芝のノートパソコン問題、三菱のパジェロ問題、豊田自動車の広告問題など、日本企業の危機はメディアで大いに批判された。日本人の珠海での集団買春事件から三菱東京UFJ深セン支店の日本人課長が中国人の部下を殴った事件まで、何度も、歴史問題は微妙にいつも屈折的に日本企業と中国民衆の関係に投影した。

 馬立誠氏は2002年に『対日新思考』を発表した。すぐに「天地を覆い隠す攻撃」に遭って、インターネット利用者達は、馬氏を「売国奴」と呼び、その文章と汪精衛の1938年の「対日和平・反共救国」声明を同列に置いた。罵倒する言葉を封筒の上に書き、配達中に周りの人に見させた人さえもいた。馬氏の住所は公表された。こうした中で、「悪ふざけ」と思える行動は、ある人がネットで鳳凰衛星テレビが放送した画面を使って、女性アナウンサーがニュースを読んでいる時、画面の下に「我がテレビ局の評論員の馬立誠さんは、今日香港中環で愛国青年にひどく殴られた」という字幕を付け加えた。

  2007年4月に温家宝首相が日本への「氷を破く旅」をした後、馬氏はやっと「受けた攻撃が明らかに軽減する」のを感じた。

 2004年と2005年、反日感情は激しく、2005年4月に 上海、北京などの都市で大規模な反日デモが発生した。

 中国人の中にも二つの意見があった。理知的で、良い教育を受けた中間階層以上の人は、このような行動に反対し、少なくともそのようなやり方に反対していた。しかし、もう一つの中国人の考え方は、数が巨大で、乱暴で、興奮していた。そして、しばらく国家のイメージを一手に表現した人たちである。

 日本人にも二つの意見があった。中国を理解した数少ない人々、中国社会のこのように二つの考え方があることをよく知っていた。しかし、もう一つのタイプ、つまり圧倒的多数の日本人は、習慣的に中国人を一人と見ていた。上海で反日デモがあった翌日、16000人の会員がいる日本の新世代の企業家団体「青年会議所」は、緊急調査結果を発表した。そのデータによると、74%の日本企業家は、中国の「反日感情」に不安と感じたという。「困惑させ」と「不確定な面」。これこそが、ここ数年、日本での中国のイメージである。中国社会が順調に運営されているかどうかについて、日本の各界は信頼感を持っていない。

 中国における日本の存在は、この時から「不可思議な色」を身に付けた。欧米の化粧品会社は、中国の記者にとても大きな取材空間を与えたが、資生堂広報部の社員は取材する前、取材の内容を理解し、事後にまたあれこれ質問した。花王は今年の初めに記者会見を準備したが、5カ月たっても開催していない。日本企業は、慎重な上に慎重で、これは中国で何かする時の最重要なやり方である。

 北京で、吉野屋のテーブルの上に、プラスチックの商品標識:があった。北京吉野屋は中国人が自分で経営管理する有名なブランドである、と書いてあるものだ。これは本当だろうか。この牛丼と紅ショウガを提供する企業は、日本で千店以上あるが、正真正銘の日本企業である。吉野屋北京の広報部の女性は取材を受けようとせず、「この標識の意味は理解できるでしょう」と言った。

(実習編集 宣少一)

 
 
 

このウェブサイトの著作権は東方ウェブサイトにあります。掲載された文字や画像などの
無断転載は禁じられています
本ページにについてご意見やご感想はtoukou@eastday.comまでお送りください