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夕刊紙事業を回顧、現状と将来動向で意見交換
2003 -11 - 25 14:17

 中国「晩報」(夕刊紙)工作者協会は先ごろ、湖南省の省都・長沙で第18回年次総会を開き、夕刊紙発行事業の発展の歴史を回顧するとともに、現状や将来の動向について意見を交換した。

 ◇夕刊紙発行事業発展の歴史 1949年1月、天津が開放された。その年の3月に従来の「新生晩報」(1953年に「新晩報」に改名)が登録後に復刊され、中国解放後全国初めての新生の夕刊紙が誕生した。同年5月には上海が解放。「新民報・晩刊」(1958年に「新民晩報」に改名)が登録され発行を継続することになった。旧中国から新中国誕生後にかけて刊行された唯一の夕刊紙である。2紙の部数は合わせて数千部に過ぎなかったが、この時点から社会主義的夕刊紙の発行に向け艱難辛苦の模索が始まった。 1956年、中国共産党中央は「百花斉放、百花争鳴」の方針を打ち出し、これにより新聞界を含む思想・文化事業の従事者は大いに鼓舞された。7月1日、「人民日報」が新聞改革を提唱する『読者に寄せる』を発表したことで、全国の夕刊紙が発展していく条件が整った。湖南省の「長沙晩報」の前身である「長沙日報」もこの日に創刊。1957年10月1日に広州の「羊城晩報」、1958年3月15日には「北京晩報」が創刊されるなど、大都市での夕刊紙の誕生はこの分野の事業が新たな発展段階に入ったことを予期させた。 しかし、新たな局面を切り開いたばかりの事業は反右派闘争と「大躍進」によって強烈なダメージを被り、定着した夕刊紙としての特色は再び色褪せてしまい、一時その方向性を見失ってしまう。1960年代初期、党中央が「大躍進」時代の誤った影響を清算したことから、発展に向けた活力がもたらされた。1961年、「長沙日報」や陝西省の「西安日報」、四川省の「成都日報」、安徽省の「合肥日報」、江西省の「南昌日報」、黒龍江省の「ハルビン日報」などが相次いで夕刊紙として発行されるようになり、「文化大革命」が始まるまでには全国で13紙に達した。「新民晩報」や「羊城晩報」「北京晩報」は全国的な影響をもつ新聞となり、夕刊紙事業は曲折しながらもどうにか発展の道を見いだすことができた。 1966年、「文化大革命」が勃発し、全国各地の夕刊紙は次々と停刊を余儀なくされる。 1978年12月、第11期中国共産党中央委員会第3回全体会議が招集され、改革開放政策の下で、13年の長きにわたり中断されていた夕刊紙事業は活力を取り戻して飛躍してきた。歴史ある夕刊紙の復刊、そして新たな夕刊紙の誕生。1979年11月、「南昌晩報」がまず再発行された。1980年1月に雲南省?昆明に創刊された「春城晩報」は「文革」後初めての夕刊紙である。それから1カ月後、「北京晩報」と「羊城晩報」が同日に復刊。1981年10月1日には、「長沙日報」(1978年5月1日復刊)が「長沙晩報」に改名して発行された。1982年1月1日には「新民晩報」が復刊され、この年の末までに夕刊紙は全国で19紙と、「文革」前を上回った。 夕刊紙はその後もほぼ毎年のように創刊、復刊されている。天津の「今晩報」、江蘇省?南京の「揚子晩報」、浙江省?杭州の「銭江晩報」、山東省?済南の「斉魯晩報」なども影響力をもつ夕刊紙となった。1991年末時点で夕刊紙は全国で51紙を数える。

  ◇雨後の筍から海外版の発行へ 夕刊紙発行事業が空前の繁栄の時期を迎えたのは、ケ小平氏が1992年初めに南方を視察したのちに談話を発表して以降。1992年末には全国で78紙に達し、1993年末までに104紙に急増した。2002年末現在で総数は139紙。現在、中国晩報工作者協会の会員は152社(都市部発行の新聞や朝刊紙数社を含む)を数える。夕刊紙の数は解放初期の2紙から150紙余にのぼっており、まさに「夕刊紙ブーム」である。 中国晩報工作者協会は2002年末、会員を対象に2001年の基本状況について調査を実施した。調査参加会員数は141社。その結果、膨大な数の新聞があるなか、夕刊紙は発行部数にしてもまた経済効率でも「天下の半分」を占め、新聞事業で幅広い影響力と卓越した業績を誇る重要な「方面軍」になっていることが鮮明になった。 発行部数を見ると、全国137紙の夕刊紙(うち4紙は未統計)で年間2199万5500部、総合日刊紙の2000年の全国総発行部数5103万部と比較すると、その43%に相当する。うち部数が100万部を超える夕刊紙は5紙。夕刊紙の発行部数は増大傾向にあり、有識者は研究するに値する「夕刊紙現象」だと指摘する。 部数の増加に伴い、数多くの中小都市から辺鄙な県クラスの都市へと発行の範囲が拡大するとともに、一部の少数民族地区で民族語版の夕刊紙が発行されるまでになった。新疆ウイグル自治区では「ウルムチ晩報」がウイグル語版、同「イリ晩報」はウイグル語とハザク語の2言語版、チベット自治区の「ラサ晩報」はチベット語版を発行。吉林省・長春や江蘇省・南京、遼寧省・瀋陽、上海などでは夕刊紙が2紙発行されている。また海外拡張路線を行く夕刊紙もある。「新民晩報」は1994年11月1日から衛星を利用して米国での同時発行を開始、1996 年11月9日には記者駐在事務所を開設した。これは地方紙として初めての試み。1997年には福建省の「泉州晩報」がフィリピンのマニラで海外版を発行し、華僑達の故郷の情報が夕刊紙を通じて海外に伝達されることになった。「今晩報」も2002年3月8日からロサンゼルスで米国版の発行を始めている。 経営面を見ると、全国134紙の夕刊紙(うち7紙は未統計)の2001年の広告総収入は59億6054万元、総合日刊紙の2000年の全国広告総収入135億元と比べると、その44%に相当する。全国で公開発行されている新聞は約2000紙を数えるが、広告収入でベスト5にランクされた夕刊紙は3紙、ベスト10には5紙が名を連ねている。 夕刊紙の経済力は絶えず増強されており、その過程で各社はグループ化で発展する道を歩き始めた。1998年5月8日、夕刊紙業界初の新聞グループである「羊城晩報報業集団」が広州に誕生。同年7月には「新民晩報」と「文匯報」の有力紙が提携し、「文匯新民聯合報業集団」を結成。同集団の総資産は17億4000万元。湖南省でも2000年9月26日に「長沙晩報報業集団」が設立された。傘下に新聞4紙、雑誌1誌、ネット関連企業1社を抱える同省初の新聞グループ。

 
 
 

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