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建築の外壁は深いベージュに回復 張愛玲のアパートが70年前の様子に戻る (写真)
2008 -7 - 30 16:29

 

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 20世紀30年代に建っていたフランス風の建築――張愛玲の住んでいた古いアパートである常徳路の常徳アパートが、最近、高い足場を組んで、外壁を修復している。今回、張のアパートは外壁を修復し、70年前の深いベージュの様子に戻る。

多くの張愛玲のファンで、住民の生活に影響

 専門家の紹介によると、ここ数年、国内外の張のファンが常徳アパートに訪ねて、張の「遺跡」を見つけている。しかし、今のアパートには住民が住んでいて、たくさんの知らない人が訪ねて来て、安全な感が無いと思う。観光客は「張のアパートに少し座ってお茶を飲むこともできない。張の書いた古い上海の生活の雰囲気も感じられない」と残念がっている。

 現実の要因を考え、関係会社は、「建築をうまく復原する」という手段を取った。世界各地からの観光客は、この独特な文化名所―-常徳アパート前で写真を取りたいと思っており、できるだけ、住民に邪魔にならないようにするためである。

専門家の考証してから外の壁の色を決定

 今回の張のアパートの修繕は、今年の年初から始まった。文物専門家と建築専門家は、建築を考証した。分析の過程で、専門家はこのアパートの外壁を剥離して、毎回の壁修繕の塗料の色と材質を分析した。検定によって、この建築は薄い黄色、灰色の緑色、ピンクなどの塗料から構成され、最も奥にあった色はベージュだった。

 復原する外壁の目標は明確になり、全部ベージュに塗った。今年の10月前後、この工事は完成する見込みだ。工事は張のアパートの中の「骨董品」セットを修復?保護する。その中七層アパートの中の「消防の蛇口」、「扉のハンドル」、「郵便箱」などだ。

「郵便箱」などの古いものは元のままに

 張のアパートは70年以上の歴史がある常徳マンションの6階にある。これまで、当時の古いものは一部が元のままだ。狭い階段の入り口に入る前、赤い郵便箱がある。隣人の話によると、本物の民国時代のものだという。

 東から西に向かう常徳マンションは、当時の名前はエジンバラマンションだった。資料によると、1939年に張と母と伯母が一緒に51室に住んでいた。1942年に香港から上海に戻ってから、張は伯母と一緒に6階のある室に引っ越して、1948年まで住んでいた。張はここで5年間ぐらい生活した。ここの住宅環境が好きだったのである。「このアパートは一番理想的な世の中を避ける場所だ」と、言ったことがあった。

(編集:趙 晶)

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