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60年ぶり国共指導者会談:連・主席発言(全文)
2005 -4 - 30 9:50

 胡錦涛・中国共産党総書記(国家主席)と連戦・中国国民党主席が29日15時(現地時間。日本時間は16時)から約30分にわたって北京にある人民大会堂で会談した。共産党と国民党のトップが対面したのは60年ぶりとなる。  

 この会談は対談ではなく、最初に胡錦涛・総書記が、次に連戦・主席が発言するという形式をとった。その内容はすべてマスコミに公開された。連戦・主席の発言は以下のとおり。

 胡・総書記、紳士ならびに淑女の皆さん。本日、私自身と妻、そして中国国民党の3人の副主席と多くの友を率いて、全員で胡・総書記の招聘をお受けして大陸を訪問することができました。北京、南京、西安、上海への訪問です。私はまず、この場で心の底からの感謝を申し上げます。  

 ここ数日、仕事にかかわるすべての皆さんに、力を尽くし、心を尽くしていただきました。我々の旅程は非常に順調であり非常に愉快なものでありました。彼らに対して、とくに感謝を申し上げたいと思います。  

 先ほど総書記がおっしゃったように、本日国民党と共産党が一堂に会したということは、60年ぶりの出来事です。両岸に分かれてから56年に行われた両党の意見交換の中でも、最高レベルのものです。大変に貴重なものなのです。

 私は率直に申し上げたいと思います。この道のりは、決して容易なものではありませんでした。言葉を変えるなら、台北から北京へ、台北から南京への道のりは遠くはありません。しかし、歴史の辛酸により、本日の会見に至るまで、我々は紆余曲折を経なければなりませんでした。そのため、私は会うのが遅すぎたという気持ちすら感じているのです。  

 もちろん、中国国民党と中国共産党は過去において激突したということがあります。我々はすべて、その歴史的過程を知っています。ただし、歴史というのは、すでに過去のことなのです。我々は、その時、その時刻にもどって歴史を変えることはできません。ただし、未来というものは、我々の手の中にあるのです。  

 もちろん、歴史の過程というものは平坦なものではありえません。ただし、この不確定な時代、不確実な未来というものは、我々に多くの機会を与えます。我々はそれらにすべて勇敢に立ち向かい、未来を迎える主導的な立場にあるという理念で、未来を追及するのです。「去るものは求めず、来るものを追い求める」ということなのです。

 今日私が切実な期待を胸に抱き、この場に来ることができ、総書記とみずからお会いして、皆さんと意見を交したということは、そういうことなのです。  

 これは私自身の考えですが、今日の両岸の形勢に関しては、我々が非常に遺憾に思うことがあります。というのは、皆さんがご存知のように、1992年に双方が努力をし、不眠不休で昼も夜もなく努力を重ねた結果、やっと打ち立てた基本的な共通認識があるわけです。  

 この共通認識を基礎に、我々は1993年に辜振甫先生と汪道涵先生の会談を進め、40年来の膠着した局面を打破しました。  

 両岸の人々はそろって喝采しました。そして、未来に対する希望が満ちあふれました。私は当時、行政にたずさわっていましたが、私自身と国民党が堅持する考えを現実的なものにするために、私も全力で協力しました。辜・汪両先生の会談の後、両岸関係は約8年間にわたり、非常に安定して、発展的で密接な交流が実現し、事態は正しい方向へと発展していったのです。

 しかし遺憾ながら、このところ10年間に発生した事態は、だれもが承知しているように、我々が築き上げた進歩の過程から離れ、大きく挫折してしまったのです。  

 ただし、私は同時に非常に喜ばしいことも感じています。それはすなわち、胡・総書記が1−2カ月前に言及した平和の呼びかけが、平和への希望が、我々に対して正面を向く思考の方向を与えてくれたことです。  

 本日、私個人は国民党の主席でありますが、同時に一人の人間として、感情をたずさえ、平和への期待をたずさえ、同時に民族のひとりとしてこの地にやってきたわけです。  

 私は、我々がここに来たことにはいくつかの意義があったと思います。ここで、皆さんにご報告しましょう。まず、50年あるいは60年前の国共間の関係、思考方式、構造をもって問題を考え、私の訪問を思考する人がいます。しかし、私は、我々はすでにあの時代とあの構造をはるかに超越したのです。  

 本日、総書記が語られたように、我々は善意から出発し、信頼をもって基盤とし、両岸人民の幸福をもって到達点とし、民族の長期にわたる利益を目標にするのです。  

 私はこういった基盤の上に立ち、絶対に対峙や対抗してはならない、まして衝突してはならないと信じます。必要なのは和解であり、対話であるのです。  

 我々は和解や対話といったやりかたは、民意を基礎とし、民意の力によるものだと信じます。これに関しては、いちいち多くのデータを示してみなさんをわずらわせる必要もないでしょう。  

 次に、平和は皆が望むことでありますが、平和というものは、道筋があり、到達のための構造があるということです。  

 構造とはなんでしょうか。国民党と中国共産党は、1992年に非常に苦労をして一つの平和への道筋である「一中各表(一つの中国をそれぞれが表現している)」という基礎に到達することができました。もちろん、不幸なことにここ数年、この基礎が曲解され捻じ曲げられ、別の意味を持つようになってしまったということは、皆さんがご存知のとおりです。  

 しかし、我々国民党には何の変化もありません。我々も、この基礎の上に、両岸の明るい未来の情景を構築していきたいのです。  

 さらに、私はこの機会をお借りして、特に指摘をさせていただきたいと思うのですが、このたびの訪問は国民党として非常に得がたい契機でした。このようなすばらしい契機に恵まれたのです。現在こそ、我々は現状を把握し、共に未来を創造していくために、過去の歴史を総括することができる契機なのです。  

 したがって、こういった理念のもとで、私は望んでいます。過去の悪性の循環を、再び出現させてはなりません。我々はひとつの良性の循環を築くために、力を尽くさなければなりません。点から面へと善意と相互理解を累積していくのです。私はこの種の拡充が、ひとつの非常に堅実な基礎を築いていくと信じています。  

 悪性の循環により、互いに恨むようになれば、それが点から線へ、さらに面へと広がっていきます。相互信頼は崩れてしまい、善意はなくなります。そうなれば、我々はみな、損害を被ってしまうのです。  

 したがって本日は、私はこのような心情をもって、率直に総書記をはじめとする皆さんに、私自身が経験したことをお話しいたします。

 国民党の主席および副主席、さらに党幹部が南京紫金山の中山陵に詣でることができたのは、この56年間ではじめてのことでした。私の心情は、とても感傷的になり複雑な思いでした。ただし、感謝の気持ちでいっぱいでした。  

 中山先生は、息を引き取る際に、皆が平和に奮闘して中国を救えとの言葉を遺しました。平和に奮闘ということは、あの時代だけに通じる言葉だけではありません。皆が努力しなければならないことです。それは今日に至っても同様であり、私も信奉しつづけていることです。

 このような精神を持ち続ければ、我々双方の理解と信用を強めていけると信じています。両岸の人民に対して、もっとよい、もっと多くの安定と、もっとすばらしく、もっと大きな繁栄をもたらすことができると信じています。さらに重要なこととして、両岸に対して光明と未来への希望をもたらすことができると信じています。これが本日この場で、まず総書記と皆さんに表明したい、私の考えなのです。ありがとうございました。

 
 
 

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