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第二十二回 日本の留学生:私たちは上海に滞在するつもりだ
2005 -5 - 9 10:10

 4月末のある午後、日本人留学生の立花俊英さんは、いつものように借りている部屋の中で、ホームぺージにざっと目を通していた。2001年に上海に来て、復旦大学の中国語学部で勉強している。立花さんにとって、中国語は母語のように理解している。同じころ、日本人留学生の西万季人さんは大きな荷物を背負って、復旦大学の北区留学生寮に入った。中国のクラスメートと一緒に一週間かけた厦門の旅を終えたばかりだ。昨年の9月、交流生として東京大学から上海へ来た。西さんの目には、上海は東京と同じように繁華で、生活しやすい所だった。

一、授業が始まったとたんに緊張

立花さんは中国語学部で4年も勉強しながら、クラスメートは数人しか知らなかった。数人の日本語のうまいクラスメートを除いて、ほとんど他の学生と話さなかった。授業でも教室の一番後の列に座って,休憩の時はタバコを吸いに外に出て,授業が終わったと思うと、かばんを背負って裏門から出て行った。上海に来たばかりの時、中国語がうまくできず、いつも先生の言ったことがほとんど分からなかった。同じグル-プの中国の学生が不思議なほど賢かったと思う。 だから、ともかく一番後の列に座ってうらやましそうにクラスメートたちを見ていたが,今まで自分から進んで一言話す勇気がなかった。 

一回、ある日本語のできる男子学生が挨拶したので、その後数日の間興奮していた。中国の学生が向こうから話してくれたのは初めてだ。その後、用事があってもなくてもこの中国の学生と一緒にいた。一緒に買い物に行ったり、質問をしたり、論文をチェックしてもらったり、二人は仲の良い友達になった。

二、上海の女の子は全部モデルだ

立花さんは上海に来たばかりの時、町で見た女の子が皆モデルのようできれいだと思った、「自分は映画の中にいるみたいだ」。西さんは、上海の女の子が東京の女の子より皆一回り痩せていると思った。楽しいことこのうえないと感じた。

復旦大学での初めての授業と言えば、立花さんは今でも、ありありと思い出せる。記憶のとおりに、許道明先生の現代文学導読の授業中、先生の声が鐘のように高らかに響くと感じた。中国語が美しい音楽のように、ろうろうたる気分になったのは初めてだった。それから中国語に夢中になった。

「僕は中国語で書けた長い文章を見るたびに、誇りに思う。僕でもこうして字が書けて、こうして中国語が書けて、とても嬉しい!」と立花さんは言った。
  一方、復旦大学で学ぶ期限が一年しかない西さんは、今年7月に帰国することを考えると、悲しくなるばかりだ。中国語をすらすらと話せる感じが大好きだと言った。そして朝目がさめてから夜眠るまで,聞いたり、言ったりするのは全部中国語だ。こうしたことで、とても興奮する。

三、上海にずっといたい

初めて上海に来た時、立花さんは午後の時間をかけて人民広場をうろついていた。考えでは、上海はきちんとして清潔できれいだ、東京よりもっと繁華だと思う。同時に、西さんはいつも中国の友人について上海の街をむやみに回っていた。たくさんのすてきな風景がカメラの中に残った。

 上海では物価が安いが、給料は東京とほぼ同じだ。その点では、立花さんと西さんは同じ認識がある。二人はよくたくさんのものを買いに行った。東京にいる時は、細かくソロバンをはじいていた。しかし、こうした小心翼々とした生活は、上海ではまったく必要ない。立花さんの最大の希望は、上海で仕事し、マンションを買うことだ。そして、ここ上海に定住することなのだ。

(編集:張 梅)

 
 
 

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