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みずほ銀行中国董事長の岡豊樹氏:中国金融業界の改革開放と伴に歩む

2019年 7月 11日9:32 提供:東方網 編集者:王笑陽

みずほ銀行中国董事長の岡豊樹氏:中国金融業界の改革開放と伴に歩む

 中国では改革開放40周年にあたって、金融開放の拡大が一層進んでいる。2018年4月、中国の習近平国家主席はボアオ·アジア·フォーラム2018年年次総会の開幕式に出席し、重要な基調講演を行い、対外開放拡大に関して、金融業の更なる開放措置など、一連の重大な措置を講じると宣言した。

 「4月のボアオ会議には私自身が出席しました。銀行、証券セクターの出資比率制限の緩和や撤廃、アセットマネジメント会社の設立認可など、長期的視点から魅力的な対外開放政策を歓迎します」。

 東方ネットの「改革開放40周年40人」報道企画のインタビューで、株式会社みずほ銀行の執行役員で瑞穂銀行(中国)有限公司の董事長である岡豊樹氏は、まず最初にこのように述べた。


みずほ:第一陣として人民元業務資格を取得した外資銀行

 中国が金融開放を進める際、上海は常に最前線に立っている。そして中国における外資銀行の代表として、日本のみずほ銀行は1981に年中国ビジネスを開始以来、上海の金融業界の成長と開放を見続け、共に歩んできた。

 1981年に中国に進出した時、厳密に言えば「みずほ」という呼称はまだ使っておらず、前身の一つである日本興業銀行が1981年と1982年に相次いで北京と上海で駐在員事務所を開設した。現在のみずほは、2000年の第一勧業銀行·富士銀行·日本興業銀行の3行を子会社とする持ち株会社みずほホールディングスの設立により、正式に発足した。

 1986年に日本興業銀行に入社し、現在は株式会社みずほ銀行の執行役員で瑞穂銀行(中国)有限公司の董事長を務める岡豊樹氏は、2000年前後の重要な時期にそれぞれ関わっている。岡氏の話から、みずほの中国における発展は、どちらの時期においても上海という都市の成長と常に密接に関連していたことを知ることができる。

 みずほ銀行の前身の日本興業銀行が人民元業務資格を取得したのは1997年。その3年前、すなわち1994年に、岡豊樹氏は日本興業銀行の上海支店での仕事を開始した。当時上海に在住する日本人は2000人足らず、上海支店のスタッフも20人しかいなかった。北京言語大学に1年間留学したことのある岡豊樹氏にとっても、上海は完全に新しい環境となった。彼によると、当時、日本人の職員やその家族が買い物や医療やトラブルがあった場合、現地中国人スタッフが問題解決のために厭わずに骨を折って助けてくれたそうだ。上海の生活に「一生懸命」になる一方で、邦銀初の人民元業務資格を取得するため、1994年から1996年までの3年間は毎日夢中で働いた。

 そして彼にとって中国業務のマイルストーンの中で最も印象深いのは、1997年に外資銀行の第一陣として人民元業務資格を取得したことである。