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「中国永久居留証」001番の秦範雄

2019年 7月 11日9:27 提供:東方網 編集者:王笑陽

「中国永久居留証」001番の秦範雄

 中国に行き、5000年以上の歴史を持つあの大きな国を自分の目で見たい。それが秦範雄の学生時代の夢だった。大学を卒業して仕事を探している時、北京の工業展に出品したことのある会社を見つけ、「この会社なら中国に行けるかな」と思い、入社した。

 しかしそれから中国で50年以上も暮らし、また001番の「中国永久居留証」を獲得することになろうとは、その時の秦にとっては想像もつかないことだった。

001番の「中国永久居留証」

中国との絆

 秦範雄という名前の書かれた名刺をもらった時、目の前に立っている背の高くて元気なこのおじいさんはきっと中国人に違いない、とほとんどの人は思うだろう。中国語もペラペラとしゃべるし、まさか正真正銘の日本人だとは思いもよらないようだ。

 今年で秦範雄は上海での生活が32年となった。以前、香港で20年ぐらい働いたことがあるが、彼にとっては改革開放の最前線であるといわれる上海こそが、彼の後半生のすべての知恵、能力、財力を注いだ場所だ。

 中国との絆を語るには、秦範雄の高校と大学時代から話さなければならない。

 彼が通っていた高校には漢文という科目があった。漢文の先生は、生徒に漢字や中国文化に興味を持ってもらおうと、50分間の授業のうちの30分は教科書通りに論語や唐詩などを教え、残りの20分は中国の代々の皇帝のストーリーや水滸伝など語ることにした。そして様々な資料や写真も持ってきて学生たちに見せた。秦範雄は万里の長城と天安門の写真に「凄いなあ」と感動して中国に興味を持ち始め、「よし!自分の目で見に行こう」と決心した。

 そこで大学に入るにあたっては文学部を選んだ。ところが、当時の日本には中国語を勉強する人がほとんどいなかった。「だから1日目ね、教室にだれもいないんですよ!先生が来て『今日から始めますよね。私、間違えていませんね』と言って、私が『そうです』と言いました。先生は『だれもいませんね。いや、秦くんだけですね』……(笑)」、と秦範雄は大学の授業の1日目のことを思い出して大笑いした。そして続けて、「でも今はね、一人の中国語の先生に500人ぐらいの学生がいる程ですよ」、と話した。

 時代の変化とともに、中国の外国への影響力がいかに強まってきたのかを、この話からも窺えるだろう。

 大学時代に秦範雄は中国に留学しようとしたが、当時、中日国交はまだ正常化していなかったため仕方がなく、最後には諦めた。だが、彼は中国に行き、自分の目で5000年以上の歴史を持っているこの大きな国を見たいと思っていた。だから、大学を卒業して就職活動をしている時、いろいろと調べて、北京の工業展覧会に出品したことのある大日本文具という会社を探し当て、「これで中国に行けるかな」と思ってこの会社に入った。

 ところがある理由で会社は中国への出展を取りやめてしまった。失望して落ち込んでいた秦範雄だったが、意外なことに入社して4ヶ月後、香港支社に行く機会が与えられたのである。この時から彼の中国生活が始まった。