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雲南、貴州、四川―山々に魅せられた旅―(連載2)
2015年 4月 23日11:30 / 提供:

荷馬隊の屋敷

迤萨古镇の荷馬隊

 中国が、東西の国々と交易するためにできた砂漠の道―シルクロードはよく知られているが、実は南西部の山岳地帯にも、中国が東南アジアと交易するための、もうひとつのシルクロードがあった。甲寅地方には、かつてその道を使って大活躍していた「馬邦」(マーバン)という荷馬隊が存在していた。今回は、その荷馬隊のふる里迤萨古镇にも立ち寄り、土司(トウシー/部族の長)の屋敷を見学し、荷馬隊の末裔を訪問することができた。

 迤萨(トーサ)古镇は紅河北岸の尾根にある少数民族の多い町だ。「迤萨」という地名は、イ族語の「乾燥地帯」という意味。文字通り耕地の少ない迤萨は貧しい山村だった。唯一の銅鉱資源も清の乾隆時代に乱開発されて、採掘は長くは続かなかった。そこで、なんとか貧困から脱出しようと、1853年、迤萨人は仲間と組んで、東南アジアに出稼ぎを始めた。最初は、地元の生糸などの日用品を持って行って、ベトナムやラオス、ミャンマーの貴重な漢方薬材を物々交換で持ち帰っていたが、そのうち、金銀やアヘンなど、お金になるものなら何でも扱うようになったらしい。

 むかし、毎年10月になると、荷馬隊がこの迤萨古镇に集結した。多い時は1千頭以上の荷馬が一列渋滞で、延べ十数里(1里=500メートル)にもわたり延々と続く隆盛ぶりだったという。調達してきた品物を自ら運んで売りさばく荷馬隊は、中国南西部においての物流業の先駆者と言えるかもしれない。物流で成功した者は、村で豪邸を建て、豊かな暮らしをするようになった。

 荷馬隊末裔の楊女史の案内で、土司の屋敷を見学に行った。

 丘の上に聳える屋敷は1944年に建てられたもの。三階建ての石造りで、砦のような形をしていて頑丈そうだ。匪賊対策だろうか、外壁やバルコニーには、複数の銃眼が穿たれていて、飾りのある窓やアーチ型の門は明らかに西洋のデザインを取り入れている。中に入ってみると、丘の段差に合わせて作られた数多くの部屋が迷路のようだ。迤萨古镇の屋敷の中では、ここが一番保存状態の良いところと楊女史がいう。 屋敷の主は土司の姚初。馬200頭と資産十数万元を擁する荷馬隊の土豪だった。これは、こうした山村では大変な資産規模と言え、武装までして家財を守らなければならなかったらしい。

 迤萨荷馬隊の歴史を後世に伝えていくために、楊女史は自宅の一部をサロンに改装して荷馬隊の記念品を集めたり、関係者と熱心に交流したりしている。楊女史の祖母は、裕福な荷馬隊の家に嫁ぎ、舶来のランプやミシンなどを日常的に使っていたそうだ。

 その祖母の嫁入り道具のひとつに、革製の可愛いがま口のハンド·バックがあった。

 「こんな山村で、そんなおしゃれなハンド·バックをさげる若奥さんは、さぞかし目立って、周りから羨ましがられたんだろうなぁ」と思わずその姿を想像してしまった。

ハニ族の長い宴

 ここには、荷馬隊の活躍で物流と共に異国の風習や文化も伝わり、村から外国に移住して商売をする人も少なくなかったようだ。その所為か、甲寅は騰衝地方に次ぐ、雲南省第二の華僑の故郷になっている。


(文:陸燕萌 馮学敏)

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