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雲南、貴州、四川―山々に魅せられた旅―(連載1)
2015年 4月 22日17:27 / 提供:


 翠湖のユリカモメ

 中国では、西南部の高原地帯にある雲南、貴州、四川、西蔵(チベット)を一括りにして、雲貴川蔵高原と称される。これらの地域は地形が複雑なうえ、多様に変化する気候のおかげで、風光明媚を誇り、それゆえ、世界遺産に登録された場所も多数にのぼる。

雲 南

 世界最大規模の棚田群

 

 雲南省の「紅河州ハニ族棚田群」は、2013年6月にめでたく中国の世界遺産に登録された。この紅河の棚田群がまだ海外に広く知られていなかった80年代から、写真家である夫は、その棚田の佇まいに魅力を感じて、以後、今日まで十数回にわたり、その多彩な姿を撮り続けてきた。私もいつか見に行きたいと願っていたのだが、遂に2013年の冬、年末休暇を利用して念願を果たすことができた。

 東京からは広州経由で、まず、雲南省の玄関口昆明に飛ぶ。  

 省都昆明は雲南省の中央部にあり、四方を山々に囲まれていて、冬でも暖かくて過ごしやすい。そのため、ここは昔から「春城」とも呼ばれてきた。市内には翠湖という湖があり、その周りは緑豊かな公園になっている。翠湖が整備された1980年代からだろうか、毎年12月には、シベリアの寒さを避けるために、ユリカモメが飛来して、春までここで越冬するようになったという。見物に行くと、なるほど、湖の周りには十数万羽ともいわれるユリカモメが群がっている。真っ白な羽根に紅色の嘴がひときわ目立つ鳥たちが、騒がしく鳴きながら真冬の青い空を舞う。それに周りの見物人が餌をやったりしていて、なんだかとても和やかな光景だ。  

 冬の翠湖のユリカモメは、昆明の冬に欠かせない風物詩として、いまや市民や観光客の間に、すっかり定着しているようだった。 夜の帷が降りる頃、市内に住む夫の絵画の恩師である画家の朱先生一家を訪ねた。久し振りの再会で、思い出話に花を咲かせながら、松茸料理など、地元の美味しい味を堪能させてもらった。 翌朝、さっそく車で紅河州に向かった。ひたすら曲がりくねった山道を走り、道々、元陽の勝村から老虎嘴、多依樹、撤瑪壩、甲寅といった棚田の名所を巡る。 

 棚田は季節ごとに景色が変わり、晴雨それぞれに色彩が移ろい、朝焼け夕焼けに照らされて光の中に浮かぶ棚田は、もう幻の世界、心に焼きついて忘れられない厳かさだと、夫が声を高ぶらせる。

 実は、雲南はアジア稲作発祥地のひとつ。三千年前の炭化した野生の稲が発見されたこともあるとか。はるか昔に、他民族との戦いに敗れて、中原から雲南の山奥に追われたハニ族は、環境の厳しい高原で生きていくために、山を開墾して稲作に取り組んだ。

 彼等は雨風にも負けず、移住の歴史と共に、子々孫々、コツコツと開墾に励んだ。雲南に数ある棚田の中で、紅河ハニ族の棚田群が一番素晴らしいと言われているのも、彼等の背後にそんな厳しくも長い開墾の歴史がある所為なのかもしれない。そしてその棚田は、いまや、海抜76メートルの谷間から海抜2500メートル以上の山腹にまで達している。規模の一番大きい元陽の勝村と撤瑪壩では、総面積が数万畝(1畝=6.7アール)まで広がり、最大段数がなんと4000段以上、まるで天まで続く雲の梯子のように見える。

 目の前に広がる見渡す限りの棚田は、まさに壮観!その荘厳ともいえる迫力に圧倒されて息が詰まる。気の遠くなるような難行苦行を重ねた挙句に、この奇跡の棚田を作りあげたハニ族を、山の彫刻家と称揚しても決して誉め過ぎにはならないだろう。生きるために作った棚田が後に絵画や写真等の芸術作品の素材になり、世界文化遺産にまでなるとは、当のハニ族はもちろん、誰にも夢にさえ想像できなかったに違いない。

 甲寅にはハニ族の大きな村がある。森の中に建っている木造茅葺の家は、ユニークなキノコ形だ。おまけに鶏や豚が平気でその辺を歩いている。ここは人と動物が一緒に暮らす、おとぎ話の世界そのままだ。

 ハニ族が経営する村の食堂「農家楽」で農村料理を食べた。

 芭蕉の花蕾や竹の虫などという珍味を初めて口にした。蚕のような竹虫は、元の姿のまま黄金色に揚げてある。最初の一口は戸惑ったものの、勇気を出して食べてみたら意外と美味しい! 譬えていえば、和食の白子天ぷら風味の昆虫料理といったところ。要するに、ここで言う食材とは、普通の野菜や肉のほかに、花や昆虫も含まれることと理解した。

 人懐こい「農家楽」の主人の話を聞きながら、楽しく食事は進む。 

 実は、棚田には美しい景観の中に、ハニ族が長年培ってきた稲作のノー·ハウがぎっしり詰まっているという。山の一番上には森があって、その下に人間と動物が暮らす村が作られている。上の森の水源から水を引き、人間と動物の排泄物は肥だめに集めて肥やしを作り、使った水と肥やしは、下の棚田に流せるようになっている。村のすぐ近くにある畑は、籾播き用の苗床として使い、その稲苗が棚田に移された後は、貯水して魚を養殖する生け簀にするとか。 

 なんと素晴らしい!まさに自然節理に適った巨大な稲作システムではないか。しかし考えてみると、一方では、そのすべてが手作業のため、過酷な労働と、うんざりするほど単調な作業が必要という事実がある。近年では、改革開放の波がこの山村地帯にも押し寄せていて、そんな生活を嫌う若者の農業離れは、この村でも例外ではないらしい。さらに観光化も進むなか、いかに棚田という伝統文化を後世に継承しつつ自然環境を保全していくのか、この美しい世界遺産の村にも、難しい課題が突きつけられていることを知らされた。

(文:陸燕萌 写真:馮学敏)

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