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テレサ・テン逝去19年 台湾に「スパイ」を強いられた
2014年 5月 9日16:32 / 提供:
テレサ・テン

 1953年1月29日に中国台湾省雲林県褒忠郷田洋村に生まれたテレサ・テンは、1967年に宇宙レコード会社に加盟し、初のアルバムを出して芸能界に進出した。

 1969年、初の映画『総経理、ありがとう』に出演した。台湾の初ドラマ『晶晶』でテーマ曲を歌った。

 1974年3月1日、日本での歌手活動を開始した。日本で初の曲『今夜かしら明日かしら』を出して、日本レコード大賞新人賞を受賞した。

 1995年5月8日、テレサは気管支喘息による発作のため死去した。

  その後、台湾雑誌『独家報道』はテレサ・テンが台湾のスパイと報じた。

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 元の国民党高級将領の谷正文氏は、「テレサは台湾国民党国家安全局の秘密情報員で、『台湾国家安全局』第三処に所属し、私の所在する台湾国民党国防部軍事情報統計局の仕事に協力することだ」と述べた。

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 その後、日本の有名な記者の宇畸真氏やフリーランスの渡辺也寸氏が、テレサの一生について4ヶ月にわたって追跡取材や調査を行った結果、『テレサ・テンの真実』を出版した。それによると、テレサがスパイというは真実だ。生活したその時代(60年代後半)、選べる道はその道しかなかった。つまり、当時の社会現実が、テレサに「スパイ」に強いたのである。冷酷な国際政治はテレサを政治の舞台に出した。

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 谷正文氏によると、テレサのような情報員は原則として、プロのスパイと根本的な区別がある。彼らはスペシャルスパイスキルを持つスパイの仕事を担当しないが、現有の条件を利用して、適当な状況で、台湾国民党政府のために仕事をする。情報を伝えるメディアだけだ。

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 レサがスパイと知った後、驚きより、テレサに同情する民衆は多い。

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(編集:曹 俊)

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