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憎しみを越え、徳をもって恨みに報いる―瀋陽「九一八」歴史博物館での見聞
2013年 9月 18日17:04 / 提供:新華網日本語

 瀋陽「九一八」歴史博物館の最後の展示ホールには、農民夫妻ひと組が男の子一人を導き、母親が慈愛をもってじっと子供を見つめ、子供は名残惜しんで母親を仰ぎ見ているようなブロンズ彫刻一つが陳列されている。

 銅像には中国の養父母に感謝する碑という人を感動させる名前がついている。その男の子は日本の敗戦後における残留孤児の化身なのだ。

 この碑は日本の残留孤児1450人が彼らを成人まで育て上げた中国の養父母への育ての恩に感謝するため、自発的に寄付され計画・建設が進められたものだという。

 「彫像は半世紀余りの日本の残留孤児と中国の養父母との間の誠実な感情を濃縮して、中国の養父母の『徳をもって恨みに報いる』広い心を明らかに示しています。」瀋陽「九一八」歴史博物館館の井暁光館長はこのように語った。

 博物館の従業員は記者にこのように語った。1999年の銅像の除幕式の際、百名以上の日本の残留孤児の方々が海を渡って訪れており、今度の儀式にきっと参加するだろう。

 印象深かったのは、木村成彦さんという名の残留孤児の代表だ。

 もともと、木村成彦さんは1945年日本の敗戦の年に生まれたが、生まれてわずか7,8日で孤児となり、吉林省敦化市の張中綿さんと徐淑珍さんご夫婦が彼を引き取って育て、また彼に「張学彦」という中国の名前をつけた。

 張中綿さんは博物館の従業員にこのように述べた。「私たちは彼が敵の子であるかどうかにかかわりなく、この子には父ちゃん母ちゃんがいないので、私たちが育てなければ、この子は死んでしまうと思っただけです。私たちはなんらかの見返りが欲しいなどと思ったことはありません。」

 概算統計によると、日本の投降後、5000人余りの孤児が中国で捨てられており、うち年齢の最も大きい子は13歳、最も小さい子はまだおくるみにくるまれた赤ん坊だったという。

 1972年中日国交正常化の後、これらの中国で生活していた日本の残留孤児が次次と帰国して定住した。40年余りが過ぎた今、中国の養父母の大多数はすでに亡くなり、ある人は死に至っても遠い日本にいる子供に会えなかったとのことだ。

 「このような国家、人種、憎しみを超えた愛は、時の流れのために消えてなくなることはありません。」と井暁光館長は語った。

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