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宮崎駿監督の引退宣言で、気になる後継者問題「日本には優秀な人材が多い」
2013年 9月 17日15:26 / 提供:人民網日本語版

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「火垂るの墓」(資料写真)

 宮崎駿監督が引退を宣言するたび「宮崎監督の後継者は誰か」は熱く語られる話題だ。残念なことに宮崎監督の寵愛を受けていた「耳をすませば」の監督である近藤喜文監督は、1998年に早世し、「千年女優」を作り上げ、アニメ界から賞賛を受けた今敏監督も同様に運命の魔の手から逃れることはできず、2010年、この世を去っている。日本のアニメ監督を見回すと、優秀な人材は多く、しかも様々なテイストが揃っているが、宮崎監督が振り上げた日本アニメの大きな旗を受け継げるのは誰だろうか。

 1985年、宮崎駿監督とともにスタジオジブリを立ち上げた高畑勲監督は、「天空の城ラピュタ」などの有名作品のプロデューサーも務めている。彼自身が監督した「火垂るの墓」は宮崎監督の現実主義的なテイストとは異なり、素朴に描かれた戦火の中で頼りあう兄と妹の情感が深く心に染み入る作品だ。また、「おもひでぽろぽろ」も同様に普通の人に照準を合わせ、日常の淡々とした生活に入り込んで細やかに女の子の子ども時代の記憶や生活感を描いている。これに続く「平成狸合戦ぽんぽこ」では奇想天外な想像力を展開し、にぎやかに動物、妖怪、法術など日本古来の伝統的な文化を結合させ、人間と自然の微妙な関係を探っている。自らの写実路線とかけ離れ、同時にクリエイティブに宮崎監督のテイストを発揚している。

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「新世紀エヴァンゲリオン」(資料写真)

 若いころ、庵野秀明監督は宮崎監督の「風の谷のナウシカ」の作画担当に応募し、宮崎監督から巨神兵のシーンを担当させられたことがある。この重責に緊張して怯えていた庵野監督に、最終的に宮崎監督は「描きたければ早く描け、描きたくなければ去れ!」といったという。この謙遜傾向の強い天才は何年かして、世間をあっと言わせた「新世紀エヴァンゲリオン」でアニメ史を塗り替えた。この作品の劇場版上映は「もののけ姫」とバッティングして競いあった。「新世紀エヴァンゲリオン」は複雑なストーリー構想、難解なキャラクター設定、セリフ、玄妙な世界観のフレームワークで人々の注目を集め、ストーリーデザインはその後に続いたアニメに模倣し続けられている。また、思想的にも世界の終わりを予言したり、神に対する複雑で矛盾した態度を描いたりなど、これまでになかった深い哲学性が感じられる。

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「坂道のアポロン」(資料写真)

 渡辺信一郎監督は、1995年、河森正治と共同で「マクロスプラス」を監督し、野心満々なバーチャルアイドル シャロンの誘惑を使って、人の意志と生存の価値を探求している。精巧な作画、戦闘シーンは特にきらびやかで、大幅にコンピュータグラフィックスを導入して、実験的な性質も持っている作品だ。一般的なアニメ作品に比べ、渡辺信一郎監督の映像に対するやり方は複雑で、モンタージュ、コントラスト、超広角などで極めて映画的なテイストを表現している。彼の「カウボーイビバップ」という作品は、製作時にあまりに冒険的な作品と捉えられ、かなりのプレッシャーがかかったという。映画の最後のワルツ フォー ヴィーナスは、キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を思い出させる。2004年、渡辺監督は「アニマトリックス」も監督をしている。

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「スチームボーイ」(資料写真)

 手描きアニメ分野で、彼は手塚治虫につぐ影響力を持つ。しかもアニメ映画では宮崎監督の後継者という呼び声も高い。「スチームボーイ」を例にとると、アニメに描かれたロボット世界との戦いのシーンは宮崎監督の「ハウルの動く城」を思い出させる。少年が科学技術を使って戦争を阻止するやり方や利益ばかりを重視する商人、正義感を失った科学者の父への批判など、どれも宮崎監督のアレンジにみえる。大友克洋監督のロボットに対する執着や愛情は、科学と人類の複雑な関係に対する問いのようだ。このほか、手書きの画風も宮崎監督に相当類似性がある。

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「機動警察パトレイバー」(資料写真)

 「クレヨンしんちゃん」の原画監督の経験を持つ湯浅政明監督は、自分の監督した作品でこれに類似する単純なキャラクター設定やブラックユーモアを展開し続けている。2002年の「マインド ゲーム」では、天才的なめちゃくちゃな想像をそのままちりばめ、物語の主人公は個人の意志で、天国から死ぬ一瞬前まで戻って再び人生を始めたり、しまいにはわけもわからず鯨の体内で変わった暮らしをしたりする。湯浅監督の創作の軌跡には、ポストモダニズム(「マインド ゲーム」)、シンボリズム(「ケモノヅメ」)、シュールレアリズム(「カイバ」)、抽象表現主義(「四畳半神話大系」)など、模索の多様性が見てとれる。つまり、湯浅監督の作品のテイストは奇異できらびやか、抵抗できない魅力に満ちている。作品テーマも画風でも日本アニメ界で独自の境地を確立している。

 押井守監督は、他のアニメ監督たちのような作画の腕はないが、デジタル技術や映画化のオーディオビジュアル効果で暗く冷たい未来世界のシーンを作り上げている。更に重要な事に、彼の作品にはいつも深遠な哲学的思考があり、「リアルとバーチャル」、「生命とロボット」、「人間と世界」などの弁証的な問で迫ってくる。代表作である「攻殻機動隊」では暗い未来都市のシーン、科学技術が高度に発達した時に人間が直面する逃れられない宿命が表現され、シーンには悲しみに満ちた感傷が描かれ、SFの殻をまとって生命の本質を探求している。このほか、いつもタッグを組む作曲家の川井憲次も、押井守の世界観構築に大きく貢献している。

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「秒速5センチメートル」(資料写真)

 新海誠監督の作品は、いつも淡々とした憂いに満ちている。キャラクターの細やかな秘められた情感を描くことがうまく、心の声のひとりごとがよく使われる。自然の描写や暮らしぶりなども細かく観察され、想像されている。新海監督は自然の描写を使って意味を伝えたり、感情を作り出したりすることに長けている。例えば「言の葉の庭」という作品では雨のシーンが全体の80%を占めているし、「秒速5センチメートル」という作品には同様に桜、雪、空などが散りばめられている。極めて光と色の使い方に気が使われていて、モヤや夕日、午後の木漏れ日などの豊富なバリエーションを持つ自然光、明かりのデザインも同様にシーンやキャラクターの感情に必要で、様々な変化を見せる。こうしたすべてのモチーフがまとまって映像に視覚的効果を与える。彼の作品の1つ1つのシーンは、壁紙にできるほどだという人もいる。

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「時をかける少女」(資料写真)

 スタジオジブリから招かれて、「ハウルの動く城」の監督をしようとしたことがある細田守監督が初めてメガホンをとったのは、「ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島」で素晴らしい興行成績を上げたが、本当の意味で名声を得たのは2006年の「時をかける少女」という作品で、口コミではジブリの宮崎吾朗の「ゲド戦記」に勝ったと言われた。2009年の「サマーウォーズ」は観客満足度が96%までになり、「子どもからお年寄りまで楽しめるSF日常アニメ」という評判で、映画で描かれた大家族は28人の個性にあふれた、様々な年代の家族で構成され、温かで感動的な日常の息吹に満ちている。

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「ゲド戦記」(資料写真)

 宮崎駿監督の息子として、宮崎吾朗監督は2006年にようやく自分の処女作である「ゲド戦記」を発表した。父親の精神で優れた手描きアニメの画風を受け継いでいる他、ストーリーでは父親の自然環境保護の概念などの影響も受けているようだ。だが、2011年に発表した「コクリコ坂から」については寛容に受け入れる観客はなく、映像は宮崎監督と高畑監督の作品を低レベルに合わせたようなもので、画風も宮崎監督のような人目を引き視覚的な要素や想像力にかけ、ストーリーも平坦でゆっくりしていて「おもいでぽろぽろ」を思い出させるが、引き込まれるような叙事的効果もなく、細やかな情感も感じられないものだったとの評価もある。

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