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旧日本軍の南京での数々の暴行を記録した英国人記者の英文日記を重慶で初公開
2014年 7月 15日15:33 / 提供:新華網日本語

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  重慶図書館収蔵の抗戦の歴史を記録した書籍『旧日本軍の中国での罪行 Japanese Terror in China』。

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  記者は『旧日本軍の中国での罪行 Japanese Terror in China』から当時の足跡を探し出した。

 7日、重慶図書館は華龍網を通じて、英国の『マンチェスター ユニオン リーダー』の記者H.J. Timperley(H.J.ティンバリー)が著作した英語原版書籍『旧日本軍の中国での罪行』を独占で初めて一般公開した。1937年から1938年にかけて、旧日本軍が南京で犯した罪行をティンバリーが日記形式で客観的かつ真実に沿って記録している。ティンバリーは次のように述べた。日記の中の物語は非常に沈痛で、すべての人が読後に思わず吐き気をもよおすような感覚になると感じる。「各種犯罪と惨状に満ちており、ほとんど信じ難い。」

 抗戦勃発時の旧日本軍罪行を記録、1947年に重慶図書館に収蔵される

 ティンバリーは同書の前書きで、同書は1937-1938年の間に、日本の軍隊が中国の平民に戦争行為をはたらいた事実をできる限り正確にこの世界に提供し、多くの尊大な軍国主義分子の虚言とデマが事実の暴露によって反論しなくても自滅させることを趣旨としている。

 同書は1938年に出版され、全文英語の第一版。重慶図書館専題文献センターの劉暁景主任は、「現在、把握する限り、このような外国人記者が抗戦時に記述した旧日本軍の罪行を記録したこのような外国語原版の著作が収蔵されているケースはかなり稀だが、同書は抗戦時期の日本人の中国での暴行を客観的かつ公正に記録した得難く貴重な文献史料だ。」と説明した。

 同書はどこから発見されたのか。同書の印章は「国立羅斯福(ル?ズベルト)図書館収蔵」と表示している。劉暁景主任は次のように述べた。「羅斯福図書館は重慶図書館の前身で、本書が1947年の図書館設立当初から存在したことを説明するものだ。」しかしながら、同書は当時買ったものか、あるいは別人がら贈ったものか、一歩進んで調べて確かめる必要がある。

 目前、同書は修繕する必要がありながら、そんなに易しくないことである、イギリスで出版した同書が、当時の「機械紙」を採用し、専門器具を使って修繕すべきだと劉暁景は述べた。

 旧日本軍の南京での暴行の数々、民家侵入は1日に5〜10回

 ティンバリーは次のように記録した。「(1937年)12月19日、日曜日、今日は全く混乱した1日だった。日本の兵士が何度も点火して大きな炎が上がり、火の勢いが瞬時に都市に広がった。都市の多くの場所で、米国国旗が引き剥がされ、ある米国系の学校の国旗は剥がされて兵士に踏みつけられた。学校側に国旗を再び揚げるならば、関係者を殺すと脅した……」当時、多数の民家は1日に5〜10回ほど日本人兵士に侵入され、中国の民衆は略奪に遭い、女性は強姦された。

 ティンバリーは、友人とともに55回に及ぶ暴力と略奪を記録した表を持参して日本大使館に行き、日本人官員に日本の軍隊による南京進出後、最も酷い1日だったと告げた。しかし、彼らに対する回答は「あらゆる努力を尽くし、事態が短期内に一定の変化を遂げることを希望する。」というものだった。大使館の軍隊への影響力は微々たるもので、軍隊は兵士に対しても明確に制御と管理を行っていない。

 日本兵が中国の捕虜を銃剣で惨殺、民家で中国人女性を強姦

 1937年12月21日、その日、H.J.ティンバリーは、中国人男性が銃剣で刺された五カ所の傷を負い、南京大学病院に入るのを目撃した。この人は前の日に街を歩いていたときに日本の軍隊に捉えられ、捕虜集団に加えられた、と語った。

 ティンバリーはこの男性の話しから、男性が拘束された夜、街の西部のある場所で、130人の日本人兵士が500人近くの中国人捕虜を銃剣で刺して虐殺したことを知った。男性が目を覚ましたときは日本人兵士はすでに立ち去っていたが、当時彼は立つこともできず、朦朧とした意識の中で夜間に地面を這って現場を離れることを考えた。

 ティンバリーは次のように記述している。1937年末、国民政府は重慶に遷都し、当時の南京は徹底的に占領されていた。「今はもうクリスマスイブだが、2週間前に南京が包囲され、中国の軍隊が撤退した後、南京は日本の軍隊がほしいままに踏みにじる場所となった。ここは徹底的に占領され、大部分の地域は焼き払われ、地獄と化した。」

 ティンバリーは民家で中国人女性を強姦する日本人兵士を頻繁に見かけた。日本人兵士は横暴な様子で街を歩き、時々、酒に酔っていた。ティンバリーは日本人兵士が行く道を遮ったという理由で、時折、自分の胸元から突然、銃剣を抜くのに恐れを抱いた。

 旧日本軍の各種焼殺と略奪、英国大使館と大使住宅も例外ではない

 旧日本軍の暴行は中国人に対するだけではなかった。ティンバリーの日記に、「市街のほとんどの民家が日本の兵士から何度も略奪に遭い、米国、英国、ドイツ大使館と大使住宅及び相当な部分の華僑の財産も免れることはできなかった。各種車両、食物、衣類、ふとん、現金、時計、絨毯、書画及びその他の少し価値のあるものでさえ、すべて日本の兵士が略奪する対象だった。」と記述されている。

 ティンバリーは、次のように述べている。当時、南京の店舗で旧日本軍が足を運ばなかったのは、国際委員会の米屋と軍用倉庫だけで、そのほかの大多数の店舗は日本の兵士が先を争って扉を開け、横暴に盗みをはたらいた。「彼らは長官の監視と指導のもとで、計画的にトラックですべての物品を運搬し、焼き払った。毎日、何件も火災が発生したが、多くの住宅は日本の兵士が故意に放火したものだ。」

 専門家:記者は人道主義的な心持ちがあり、同書は貴重な生の史料

 重慶市政治協商会議文史研究会副会長、重慶図書館研究館員、抗戦史専門家の王志昆氏は華龍網の記事と同書を読んだ後、次のように述べた。『旧日本軍の中国での罪行』は最も早い時期に出版され、西側諸国で世界的な最も大きな影響力を持つ南京大虐殺に関する著作で、反ファシズム同盟国の一国となった中国に対し、道義的支援を提供するものだ。

 王志昆氏はまた、次のように語った。ティンバリーが執筆した同書は1938年に出版された書籍で、南京大虐殺を記録した非常に有力な生の史料証拠であり、揺るぎない証拠だ。「南京大虐殺虚構論」を再び突き破り、旧日本軍が南京で犯した数々の罪行を日本が否定できなくなる。南京大虐殺の事実とその過程を世界で最も早期に暴露し、集中的に反映させた史料の一つとも言える。

 王志昆氏はさらに、次のように述べた。同書の誕生は容易なことではなく、このイギリス人記者は現場にいただけでなく、心が豊かで、人道主義的な気持ちがある人物で、人類文明を尊重し、記者の道徳と良識を示した。

  

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