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新中国の日本戦犯審判特別軍事法庭旧跡に見聞する
2014年 6月 9日16:11 / 提供:新華網日本語

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 【新華社瀋陽6月9日】瀋陽市皇姑区黒龍江街77号に位置する屋根の下に伝統様式の傾めのひさしがある二階建ての建物は、黄金色の瑠璃瓦で、赤色に塗装した四本の柱が立ち、荘厳で重厚感が漂う。

 58年前の6月、中華人民共和国最高人民法院特別軍事法庭だったこの場所で、師団長の鈴木啓久中将、偽満州国国務院総務長官の武部六藏を含む日本人戦犯36人に対する審判が行われた。

 「山積する鉄の証拠を前に、審判を受けた戦犯はすべて罪を認めた。中国人民が徳を以て恨みに報い、一例も死刑判決を下さなかったことは、戦犯らが全く予想もしなかったことだ。」当時、裁判員を務めた高齢の権徳源さんは、往年の出来事を回顧し、「生涯、忘れることはない」と感慨深く語った。

 軍事法庭旧跡は幾度かの変遷を経て、半世紀余り経過した後でついに元の状態の通りに復元された。このほど、この場所に設置された歴史陳列館は数々の証拠を展示し、正義と法律 論理を唱えている。

 陳列館に大きな門を入ると、「正義審判」の4つの大きな字が人目を引き、繁体字で「中華人民共和国最高人民法院特別軍事法庭」と楷書した額が展示ホールの入口前に掛けられている。陳列館のメインホールは、当時の法庭における裁判の情景を再現し、裁判員席、被告席、公訴人席、証人席、弁護人席を当時と同じ状態で配置し、メインホール上方の大型スクリーンで、当時の戦犯裁判のドキュメンタリーフィルムを放映している。その中に着席すると、まるで時間が逆行しているかのように感じる。

 時間は1956年6月9日まで遡る。中国侵略日本軍59師団の師団長であった藤田茂元中将は法庭で次のように供述している。「私が連隊長だった当時、戦場で捕虜殺害命令を2回直接発したことがある。中条山作戦では、捕獲した8人の捕虜を士兵の射撃訓練の標的にして殺害するように命じた。1939年8月15日、澤州作戦では、19人の捕虜を殺害するように命令した。

 「私の罪行は非常に重く、生涯をかけて罪を認め、私が生きている限り、被害者の人々が心から発した言葉を固く胸に刻み、記憶し続ける。……侵略戦争は、絶対に再び起こしてはならず、後世の人々が誤った道に再び足を踏み入れることがあってはならない。」と藤田茂は法庭で誤ちを悔い改めた。

 瀋陽裁判ですべての戦犯が罪行を認める供述を行い、さらには泣き崩れて自ら死刑を求刑する者もいた。これらの戦犯は釈放されて帰国した後、大多数が中日友好を推進し、日本の軍国主義の復活に反対する友好人士になった。

 正義審判は覆すことができず、歴史は否定できない。日本の右翼勢力の誤った言論が横行となっている今日、過去の裁判を振り返る必要性がより一層、高まっている。中国の近代現代史料学会、王建学副会長は、新中国が1956年に日本の戦犯に対して行った裁判は、国際社会が実施した第二次世界大戦の戦犯裁判の延長線上にあり、中国人民の抗日戦争勝利に対する重要な総括でもある。その価値を消し去ることはできず、忘れられるべきでもない。

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資料写真

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