唐物:日本で流行ってた「中国製造」
2015年 3月 19日10:15 / 提供:
「唐流」スター:中国画僧牧渓
室町時代の日本人にとって、人気が一番高い中国画家は牧渓(牧谿法常)だった。この中国で忘れられてしまった画僧は、日本で最も高く評価されれた。
宋朝と元朝の時期、日本の僧侶は東シナ海を船に乗って中国日本間を往復していた。一番行きたがった聖地はもちろん杭州だった。天竺、霊隠などを求学している僧侶たちは、朝廷の画家と民間画家にあうチャンスが少なくて、まずは牧渓など「同業」の作品に出合う。牧渓の作品に感動し、日本へ持ち帰った。その後、マネのブームを引き起こした。
径山寺
日本の鎌倉時代以降は唐物のブームがあった。もし、今の時代が「韓流」の時代というと、その時期は「唐流(宋朝と元朝)」の時代といえる。杭州と寧波はその時期の「ファッションの都」だ。
唐物を満載する「新安沈船」と日宋貿易
鎌倉時代、日宋貿易が繁栄し、数多くの「唐物」が日本に入った。宋朝の銅銭まで日本の流通通貨になった。14世紀初頭、両国間の貿易が回復し、全盛期に至った。
宋朝の曜変天茶碗
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