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上海の学生が学力世界一に 中国の教育について考える
2013年 12月 6日21:17 / 提供:チャイナネット

上海の中学生が「学習到達度調査(PISA)」2012年度調査で再び1位を獲得し、64の国・地域の中学生のトップに立った。同調査は数学、読解、科学の能力で評価され、上海の学生は3項目すべてにおいて世界一となった。パリに本部を置く世界経済協力開発機構(OECD)が結果を発表した。

上海の学生が同調査の1位を獲得したのは3年ぶり、2回目であり、西側の教育界に衝撃を与え、中国の教育界の喜び以上の注目を集めた。米国の学生の学力は平均レベルを維持しており、米国の教育界では危機感が再び高まった。

西側には上海の学生の「丸暗記」をあざ笑う人もいるが、中国社会の自尊心には影響しない。中国人の受験教育に対する批評は、外国人が言う以上に厳しく激しいためである。

中国の基礎知識の教育レベルは非常に高いことは争う余地のない事実だとわかる。いずれにせよ、これは成績であり、悪いことではない。

しかし、これほど優れた成績を前に、その代償は合理的か、価値相応かなど多くのことを考えさせられる。ある業界関係者は、中国の学生が基礎知識学習に費やす時間は西側の学生の2〜3倍だと話す。上海の学生の学力の一部は、追加した「学習時間」で得たものである。

基礎教育において、東洋と西洋にはそれぞれの文化的な習慣がある。西側は子供の天性を重視し、心身の自然な成長を尊重する。一方、東洋は2000年にわたって暗記する方法をとってきた。実は、東西の教育界に自身は完璧だという考えはなく、米国では「教育改革」の声が高く、基礎学習の時間とテストは増えている。中国政府が進める「総合素養教育」の望みは非常に切実なものであり、この目的を達するために大学受験を簡素化する改革が進められている。

中国のここ数年の大学新入生募集の比率は高まっているが、基礎教育の競争は激しさを増している。大都市では幼稚園でもその傾向がある。幼稚園で小学校のことをやり、低学年で高学年、中学校で高校、高校で大学のことを学ぶ。大学に入ると保障されたようなもので、一部の学生は何も学ばなくなる。中国の基礎教育の本当の精神は学習ではなく、競争だと言わざるを得ない。

中国社会、ひいては東洋全域は資源が不足し、そのうえ程度は異なるが発展がアンバランス、さらには階級的なものであり、このような社会では個人が受ける教育の優位性が非常に重要となる。農村の一般階層の子供にとって、これは人生を良い方向に向ける決定的な一歩である。大都市の中産家庭の地位もしっかりしておらず、競争の圧力は西側社会より大きく、教育面で負けられない状態だ。全社会の青少年にとって、試験は学習の成績というだけでなく、早くからやらざるを得ない人生の戦いである。

しかし、「総合素養教育」の迅速な発展の実現は容易ではない。中国が取り組む基礎知識の教育は国が作り上げたものではなく、大学受験という「指揮棒」だけのせいにしてはいけない。東アジアほぼ全域の文化的な問題である。台湾や日韓を見ると、大学受験の改革はこの問題を一部緩和できるだけである。

基礎知識の試験は偏りはあるが、実施しやすく、比較的公平に行える。そのため、中国の高校受験と大学受験は数回の改革を経ても完全に変えることはできない。その上、競争の圧力が減らない中、いかなる評価システムも中国の家庭と学校の「結託」により極端に追いやられる可能性がある。

中国の基礎教育の大きな現実に目を向ける必要がある。すべて事実に基づき、他国と比べてはならず、中国の現実と照らし合わせなければいけない。大学受験制度の改革を速めると同時に、社会の信頼の構築も速め、学生の普段の成績の一部が大学受験の成績になるように条件を作り出す必要がある。

自らを過小評価したり、ほかの事に原因をなすりつけても無駄である。PISAの1位獲得の代償を減らす、懸命に学ぶ必要があっても精神的にゆとりが持てるようにするなど、現実的な態度で改善を目指すべきである。