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日中メディアの歴史責任=徐世平·東方ネット編集長
2015年 5月 7日11:08 / 提供:

「日中メディアの歴史責任」を語る徐世平氏

---2015年日中ジャーナリスト交流会議での発言(抄訳)

徐世平

 

 日本と中国は東南アジア地域における重要な隣国です。地政的に見て、日中、それに韓国の関係は東南アジアの安定と発展を決定付けるものといっても過言ではありません。  

 日中関係はかつては健全で、短いですが蜜月期もありました。70年代後半から80年代初めにかけてです。私は今でも、当時の日中青年大交歓会をよく覚えています。この時の経験が私の日本観、「日中友好のために、理性をもって互いの食い違いを容認しよう」を決定したといえます。これはいわゆる「親日派」で、現在ではあまり歓迎されません。私はジャーナリストの一人ですが、これ以降、日本のマスコミ界の多くの友人たちと、仕事でもプライベートでもずっと良好な関係を保っています。また私は、日中の第一回新聞囲碁戦――日中囲碁天元賽を催し、20年近く続けています。 

 しかしながら、歴史のプロセスとは複雑で変わりやすいものです。友好的だった日中関係は、今は「歴史的な氷点」といわれるほどひどく落ち込んでしまいました。中国のネット上に有名な小話があります。もしインドと戦争になったら中国の青年は1ヶ月分の給料を献金し、アメリカと戦争になったら1年分の給料を献金する、でも日本と戦争になったら命を差し出す、というものです。

 中国の若い世代の反日感情は非常に強く、9年前、これが最高点に達し、全国的な反日運動へと展開しました。なぜ中国の若者はこうなのでしょう。彼らは本当に日本を理解しているのでしょうか。私は、彼らの理解は部分的であり詳しくない、と見ています。そして同様に日本の若者も、中国人の反日感情に非常に不満を感じています。両国青年の互いの誤解は、既に危険な歴史の分かれ目にまで来ています。青年が将来を決定する、この問題の糸はきつく絡み合ってほどけない。日中の将来は大変に危険です。ここに日中メディアの責任の重大性があります。メディアのふるまいは、両国青年の信頼関係に間違いなく影響を及ぼします。ですから、今日ここで日中のメディア関係者が対話し、日中関係について討論することがどうしても欠かせないと思うのです。  

 日中関係は3つの問題、歴史教科書、靖国神社、釣魚島に絞られるというのが専門家共通の認識です。しかし実際に鍵となるのは歴史認識です。最近の釣魚島の紛争は実は根本的な問題ではありません。こういう問題は国際関係ではよく見られることであり、領土紛争がなくなったためしはありません。釣魚島の問題に対し、日中はかつて「棚上げ」という共通の認識を持っていました。これは当時の両国の指導者の政治的智恵でもありました。なぜなら何としても現状を打開するというやり方は愚かだからです。ですから釣魚島は根本的問題ではない。ただ、歴史問題として蒸し返そうとすると、釣魚島の問題は問題となるのです。

 私は日中関係の根本は、歴史認識の問題だと考えます。中国人にとって、過去の侵略戦争は骨の髄まで刻まれて忘れられないものです。中国人はみな、日本はなぜこうも恥知らずなのか、なぜドイツのように戦争を反省できないのかと理解に苦しんでいます。近年「村山談話」が人々の心を融かしました。しかし日本には今でも村山談話の原点に立ち戻るのをよしとしない人がいる。当時、サンフランシスコ講和条約によって多くの国が賠償金を支払いました。日中も国交正常化交渉の中で戦後賠償の問題に及びましたが、最終的に中国は国際戦略的な大局から、要求を放棄しました。徳を以って恨みに代えたのは中国の懐の深さです。ですからここ数年の日本側の態度は、およそ教科書問題であれ靖国神社であれ、すべてが中国人の神経を逆撫でするのです。そして中国のメディアはますます伝統的な考え方に立って日本を批判します。これが多かれ少なかれ中国人の心情に影響を及ぼし、悲惨な歴史の記憶を呼び覚ますのです。

 中国の若者は、日本が頑なに過去に犯した罪を反省しようとしないのを理解できませんが、答えの一つに日本人の死生観があります。日本人の死生観とは、死を生の一部だと考えることです。日本人は「死とは生の対極にあるものではなく、生の一部として永遠に続くものだ」と考えています。また死は、集団に対する責任を担うことと忠誠を誓うことでもあります。個人の価値を自分が所属する集団の価値につないでいて、集団の、ひいては国家の利益のためなら、個人のすべてをなげうつこともできるし、集団のために身を捧げるのをこの上ない栄誉だとします。日本人にとって、死は一種、己を律する行為であり、容認されるべきものです。これが日本人の善悪の意識です。日本人は死を道徳的な自己完成と考えており、生前にどんな非道なことをした者でも死んだらその罪は消滅し、みな平等に尊重され、敬われるべきなのです。典型的な例は石川五右衛門です。彼は日本でよく知られた16世紀の泥棒で、理論的には悪人であるはずですが、地方に彼を祭っている神社をよく見かけます。これが全世界と東アジアの人びとが強烈に反対しているにもかかわらず、日本政府の要人が相変わらず東条英機などのA級戦犯が供養されている靖国神社を度々参拝する理由なのです。日本人の死生観はある種、善悪を区別しない、是々非々を分けない、世界でも特異な死生観です。死を重く受け止めないし、死を寛容し尊重する。死んだら死んだで大丈夫、後は万事解決、という独特な死生観を日本人は持っているのです。このような死生観を、多くの中国の若者は知りません。我々マスコミも丁寧に報道はしていない。それに日本の一部の政治家も票集めの角度から問題を見ます。国民の観念を利用し、魂の復活に名を借りる極右的な軍国主義思想はもっとも危険で注意しなければなりません。

 次はぜひ話しておきたい問題です。それは戦後日本の中国に対する援助です。我々のメディアは普通あまり言いたがらないですが。

 私の資料によると、日本の外務省の政府開発援助(ODA)は、1979年から2010年の間、中国へ33164.86億円の円借款、1557.86億円の無償資金援助、及び1739.16億円の技術協力資金を提供しており、総額は36461.88億円、プロジェクトは200以上です。2005年から2010年にかけて、日本のODAは減少し、2008年には円借款は打ち切りになりました。しかし合計では2101.98億円にも上ります。30年以上中国は日本から最大の援助を受けていたのです。外国からの援助の60%以上が日本からのものなのです。  

 中国の2大空港は上海浦東国際空港と北京首都国際空港ですが、それぞれ31.7億元と23.8億元の円借款を受けています。蘭州、武漢、西安などの地方空港建設もみな日本の援助を受けています。中国の鉄道約5200kmの電化整備、470箇所の大型港湾整備のうちの約60箇所がどれも円借款で建設されました。北京から秦皇島への鉄道の延長工事、北京の汚水処理場建設プロジェクト、中日友好病院、北京の地下鉄1号線、上海宝山製鉄所改良工事、重慶市の鉄道工事、青島港拡張プロジェクト、杭州―衢州間の高速道路、深セン塩田港一期工事などなど、すべて日本の資金が投入されたものです。

 21世紀に入り、日本の援助はインフラ整備から環境保護、技術や人材育成などの方面に重点が移りました。円借款の方法も5年に一度から1年に一度へ 改められました。日本国際協力機構では2003年まで中国のために15000名以上のマネージャーを育成し、日本海外技術者研修協会では22000名を超える中国人に研修を行っています。新彊の環境改善プロジェクト、青海生態環境改善プロジェクト、吉林環境改善プロジェクト、貴州環境及び社会開発プロジェクト、昆明水環境改善プロジェクトなどはすべて2003年以降の援助です。中国政府が戦後賠償を放棄したことに対する感謝にせよ、あるいは日中貿易における客観的必要性からにせよ、日本の援助は中国の改革開放後の経済発展に非常に大きな貢献をした、というのは疑いようのないことです。これら中国にあまねく行き渡った援助は日中関係の艱難辛苦の証ともいえるでしょう。

 私は、中国のメディアがもしこのような日中関係の歴史を、特に日本の援助と中国の改革開放の歴史をもっと多く語ってくれたら、中国の若者の誤解をかなり解くことができるのではないか、といつも思うのです。まさにこの角度から見た時、中国のマスコミは歴史に対して責任を担っており、これを辞退するのは許されないことなのです。

 同様に日本のマスコミも反省が必要です。日本の若い世代の中国観には、マスコミの影響が非常に大きいことに注意しなければなりません。私はこれまで7回日本に来て、多くの若者と会いました。彼らの多くは中国に行ったこともないし中国への理解は哀れなほど少ない。たとえあってもそれらは皆マスコミから与えられたものです。日本のマスコミは何を与えましたか?中国の暗部、中国の貧困、中国人の極端な民族主義思想です。数年前、日本のマスコミは中国人の日本嫌いを大々的に報道しました。それに一部のマスコミでは、中国の発展が日本に与える脅威についても詳しく述べました。それに日本のマスコミは中国の進歩にほとんど注意を払いません。実際、ここ30年間の中国の改革開放と変化は、我々の世代にとって非常に感慨深く、今の民主化と開放は前代未聞だと思います。もちろんまだまだ思うようにならない部分があるのも確かです。しかし、中国の物事は時間がかかるし、発展には自分なりの独自のやり方と道筋が必要です。中国は大国ですから、都市と農村の格差や、沿海部と内陸部の発展がアンバランスであるという問題もあります。

 中国の青年はどうしてこんなにも過去の戦争にこだわるのでしょうか?それは日本の軍国主義が中国人をあまりにも深く傷つけたからにほかなりません。これに関して日本のマスコミはあまり言いたがらないように見えます。

 資料によると、8年間の抗日戦での死傷者は3500万人ですが、このうち軍隊で亡くなったのは500万人で、残りは皆無辜の一般人です。当時の中国の人口は4億人程度でしたから、つまり10分の1近くの中国人が死傷したのです。ほとんどすべての家庭に悲惨な過去がある。私が以前新民晩報で仕事をしていた時に、当時の副総編集長だった馮英子さんの口から直接聞かされた話ですが、彼の奥さんは日本兵に暴行されたことがあると。戦争による同様の悲劇は、中国のどこの家庭でも見ることができます。このような傷をあなたは認めようとしない、さらっと軽く描いただけで、まあこれでいいことにしよう、と。これを中国人は受け入れられるでしょうか。受け入れられません。なぜなら中国人にも自分の価値観があります。我々の要求は高くない。政治を舵取る日本政府は、歴史を直視し、アジアと中国人に一言、申し開きをして欲しい。たとえ口頭ででもいいのです。

 戦争期間中、中国が受けた直接的物的被害は1000億ドル、間接的被害は5000億ドルです。物価指数の要素を外しても、当時の損失は日本の対中援助の総額を超えています。たとえば東北地区の物的被害です。日本は東北地方100万平方キロメートルにも及ぶ土地を、14年の長きにわたって占領しました。当時の資料には、総損失額を175億元(中華民国の貨幣額で換算、以下同じ)とあります。3.5元を1ドルで計算した場合、約50億ドルもの巨額になります。ほかにも日本は東北の石炭を1.15億トン、鋼材を1308万トン、銑鉄を300万トン、石油を年に20万トン以上略奪しました。日本軍は強制的に穀物を徴集し、1940年から1944年までの5年間に接収した食糧は3330.8万トンで、そのうち1130万トンは日本へ送られ、500万トン以上は関東軍に供給されました。更に日本は5回にわたって大規模な東北への移民を行い、1931年から1945年の間に東北に入植したのは18万戸、約55万人にのぼり、東北部の耕地152.1万ヘクタール、つまり東北の耕地面積全体の約10%を強奪しました。石炭と食糧、これに事変の一時的損失50億ドルを加えただけで、もう100億ドルもの巨額にのぼります。交通や教育、電力、その他の資源の損失を加えたら、総額は150億ドルを下らないでしょう。  

 さらに 8年間の戦争中、中国では930余りの都市が占領されました。これは全国の都市の47%以上で、そのうち大都市は全国の80%以上です。直接的、間接的に戦禍を被った人口は2.6億以上、故郷を追われた難民は4200万人。アメリカのエコノミストによる詳しい調査によれば、首都の南京で世界を震撼させる大虐殺が行われました。細かく述べればまだまだたくさんあります。しかし日本のメディアはいっそう取り上げようとも、述べようともしません。

 私はこれらの状況を日本の若者は知っているのだろうか、と考えます。答えはノーです。日本の若者はたぶんとっくの昔に歴史を忘れてしまったのでしょう。知らないからこそ中国人に反感を覚え、いつまでもくどくどとこだわり続けて、と思うのでしょう。ここ2年、特にこの傾向が強い。一般的に、政治家は歴史的責任を負おうなどとは考えません。彼らは現実的で、政治的利益のあるものしか考えない。しかし、メディアは中立なはずです。職業倫理を順守し、客観的理性的に公正を保たなければならない。己が担うべき歴史があります。私が日中メディアの交流にいつも積極的に足を運ぶ主な理由も、ここにあります。  

 10数年前、私は当時の国務院報道室主任であった趙啓正氏の訪日に随行し、日中メディアのトップ会談に参加していました。その時『日中の心によるコミュニケーションの架け橋』という発言をしました。この架け橋とは日中両国のメディアです。発言で私は上海の石庫門について述べました。石庫門とは旧上海の典型的な住居の一つです。80年代に、ある日本の友人が上海に来た時、石庫門に行こうという話になりました。私は、今どきの石庫門は外から見るだけでいい、中は見られたものじゃないからと言ったのですが、彼はどうしても見るんだと言う。それで中学時代の友人の家に行って石庫門の中を見せてもらいました。日本の友人は感慨無量のようでした。共用の台所ではひとつの洗い場に鍵のかかった蛇口がたくさん並んでいる。天井には電灯が無秩序についているなど、まさに絵に描いたような石庫門の内部でした。「こういう生活ではしょっちゅう揉め事が起きるでしょうね」と彼が聞くと、友人は「お隣さんとの間では寛容を学ばないとね」とさらっと答えました。この言葉に彼はとても感動したようでした。この当時の発言は、日本のメディアで働く多くの方々に共感を持って受け入れられました。

 上海の石庫門の「揉め事」は日中関係を想起させます。ご近所の付き合いは、中国人に言わせると「顔を上げればすぐ目の前にいる」という関係で、摩擦は避けられません。ですから 日中両国の有識者としては「寛容を学ぶ」ことを共通の認識にしなければなりません。寛容であれば互いに無事に過ごせるし、長く付き合えば隣の人の本当の姿もだんだんと見えてくるでしょう。私はこの寛容の精神は、まず両国のメディアが実行しなければならないと思います。為すべきことを恐れずに為さなければなりません。メディアは世間に胡麻を擂ったり、何者かの意を迎えようと媚びへつらったりしてはならないのです。

 現代はインターネットがますます発達し、両国間で人々の感情の発露、意見の交流などが行われています。ネットが持つ即時性や大量の情報を双方向でやり取りできる特性などから、これらは空前の規模に拡大しています。私が非常に強く感じるのは、ネットメディアがすでに日中の精神的交流の渦を成しているということです。もし処理を誤れば、日中関係を深淵に引きずり込んでしまうことになるでしょう。ですから両国のネット世論は相手の立場に立って考えるのが重要であり、ネットメディアもその本分を全うし、歴史に対する責任を負う必要があるのです。

 私はずっと地政学に興味を持ってきました。地政学的に見て、お隣の国と波風を立てず仲よく付き合っていることは、中国と日本の双方に有利であると私は考えています。揉め事は避けがたいですが、友好の本流から外れないようにしなければなりません。私は両国の若者が、メディアの力を借りて互いに歴史の真相を理解して欲しい。若者の深層に溜まっている誤解は、メディアに携わる常識のある人びとが協力して解いていかなければならないのです。

 中国人はいつも日本政府が誠実に政治に向き合っているかどうか注視しています。先日、ドイツのメルケル首相が訪日して、日本が歴史を正視するよう希望しました。しかしながら日本政府の中には、日本は単純にドイツと同じようにはできないと言う人もいたし、安倍さんに至っては、日本も被害者だと言い出す始末です。このように、日中関係が穏やかな段階に行き着くには、道のりはまだまだ遠いのは明らかです。政治が両国関係を人質にするのを止めさせること、これもメディアの責任の一つです。

 昔、日中青年大交歓会に参加した時の私は、まだ若者でした。そして今は天命を知る年齢を過ぎました。私は日中関係がこれ以上悪くならないよう心から希望します。次の世代に直接の影響を及ぼさないことを本当に願う。私たちは両国の若者に対して歴史の責任を負わなければなりません。これを否定するのは、未来に対する我々の犯罪だと言っても過言ではないのです。


(抄訳:一條祐子)

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