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アジアは偏狭な民族主義を棄てるべき
2014年 5月 27日15:20 / 提供:人民網日本語版

 

21世紀はアジアの世紀だが、その前提条件として偏狭な民族主義を棄てなければならない。(文:楊子岩) 

日本在住の学者、劉迪氏は「今日のアジアには2つの勢力がある。1つはアジアの団結を促す勢力、もう1つはアジアを分裂させる勢力だ」と指摘した。 

シンガポールのリー・シェンロン首相の見解も近く、アジアには「平和と融合」または「分裂と不安定」の2つ状況が出現する可能性があり、民族主義がアジアの将来の発展プロセスを決定するカギを握ると見ている。 

現在の不安要素は、分裂勢力が勢いを増していることだ。いくつかの国では政治人物が票集めのために外国人投資家に反撃し、近隣国に対する歴史的怨念を肥大化させたり、外国人に対する敵意を煽ったりしている。 

ブレジンスキー氏は、復興するアジアは民族主義の熱狂に陥り、資源、領土、覇権争奪のために、20世紀欧州のような衝突を引き起こすとの不安さえ抱いている。 

ベトナムで起きた外国企業に対する暴動行為は決して特殊なケースではなく、アジアは潜在的爆発点を多く抱える。西側のアナリストは「アジアの春」との表現を用いてすらいる。南中国海では対峙が続き、朝鮮と韓国は互いに怒りの目を向け、日露間には4島の帰属争いもあり、イラン周辺の情勢も国際社会の焦点であり、インドとパキスタンも新たな焦点となりかねない。

米国の戦略家たちは、こうした潜在的爆発性環境の下では、アジアの政治・経済への米国の参画が不可欠な安定要素だろうと考えている。

戦略は確かに立派だが、「安定」というのは自らの役割に対する道徳主義的評価だ。ブレジンスキー氏は「もし」、米国が地域の警察ではなく、安定化装置としての姿で出現することができれば、20世紀の破滅的戦争の再演を避けられるだろうと予測する。だがこれは「もし」、だ。 

不幸なことに、米国は警察として出現している。中国の一部近隣国はこうした「支持」に誘惑され、中国との個別の領有権争いや利益衝突において米国を引きずり込み、支持してもらうことを望んでいる。 

アジア各国にとって、これは決して賢明な行動ではない。偏狭な民族主義が蠢く中で形成された戦略的雰囲気は、経済融合の阻害要因となり、さらに多くの貿易紛争、通貨戦争、相互報復の保護主義行為を出現させる。もしこうした状況が出現すれば、誰も勝者にはなりえない。 

アジアにはかつて、互いに学び合う時代があり、その過程で多くの共通の価値観を形成した。1990年代以降、アジアはあまねく繁栄し、互いの経済的結びつきを日増しに緊密化してきた。だが今、もし偏狭な民族主義的ムードが盛り上がり、他国が間に入って離間を煽るのを放任すれば、アジア分裂勢力をさらに強めることになる。「アジアは一体」を強調するのが正しい立場であるはずだ。アジア諸国は団結をさらに強めて初めて、分裂に対抗することができる。(編集NA)