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甲午戦争の歴史が繰り返されることは決してない
2014年 3月 6日9:55 / 提供:人民網日本語版

戦争の雰囲気をつくり出し、囃し立てる者が国際的にいる。例えば現在のアジア情勢、特に東アジア情勢を20世紀初めの英独摩擦や19世紀後期の英米摩擦になぞらえる。だがアジア情勢は欧州情勢と明らかに異なり、21世紀の情勢も19世紀末や20世紀初めの情勢と明らかに異なる。単純なアナロジーは社会と民衆をしばしばミスリードする。(文:銭利華・本紙特約論説員、全国政協委員、少将。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)

東アジアで予想外の衝突、例えば偶発的な武力衝突が起きる可能性は一体あるのだろうか?その可能性は完全には排除できないが、どの程度あるのかは中国が決めることではない。中国軍は最初の銃弾を撃つことはないが、挑発を行い、最初の銃弾を撃ち、衝突と戦争を中国に強要する国があれば、力強い反撃を加える。

中国も米国も、そして日本も戦争の発生は望んでいないと言える。世界の大勢は依然平和と発展であるわけで、各国の経済はいずれも一定の困難を抱えている。戦火が起きれば、好転の兆しが見えたばかりの経済が破壊されるだけだ。もちろん、軍が存在するのは戦争のためだ。軍が戦争の備えをするのは戦争を抑止するためであり、十分な備えをして初めて戦争を抑止し、衝突を防ぎ、危険性を解消し、戦争を回避することができる。

戦争は国家の政治意志の競争であり、それ以上に国家の実力の競争だ。中国のGDPは昨年日本の2倍に近づいた。今年は日本の2倍を超えることが完全に可能だ。人口の規模、経済力、そして軍事力を含む総合国力のいずれにおいても、われわれは日本を遙かに上回る。中日間の貿易依存度は相当高く、ひとたび戦端が開かれれば、日本経済にとって致命的な打撃となる。

日本は島国であり、資源が極めて乏しい。日本が戦争を発動しても、または他国と共に中国に対して統合エアシーバトルやオフショア・コントロールを発動し、中国に対する封鎖を行っても、中国には反撃する能力がある。戦争を発動した側が良い結末を迎えたためしはない。米国のような強大な国でさえ、イラク戦争でもアフガン戦争でも甘い汁を吸うことはできなかった。ましてや西太平洋の一島国なら、なおさらだ。戦争は民心要素も考慮しなければならない。第2次大戦の記憶、特に米国が日本に2度投下した原爆の記憶から、日本の若い世代は戦争を深く憎んでおり、多くの若者は入隊する熱意を欠き、ましてや戦場へ赴くことは望んでいない。

日本にとって米国は同盟国であると同時に、「対戦相手」でもある。日本が普通の国になるには、歴史を正しく認識し、区切りをつけると同時に、米国との関係をうまく処理する必要がある。厳密に言えば、日本は米国から離れられず、米国によるコントロールから抜け出すことはできない。外交、安全保障面で米国によるコントロールから抜け出せなければ、日本が普通の国になることは不可能だ。米国は現在調整・適応期にあり、日本に対する制約を緩める気がある。だが数年後、ひとたび活力を回復すれば、再び出てきて日本に対処するはずだ。米日摩擦、特に米国に対する日本の嫌悪と憎悪は中国に対する憎悪を遙かに上回る。米国が日本に与えた心理的傷は他の国を遙かに上回る。現在、米日両国は互いに必要としているに過ぎない。摩擦はまだ爆発していないが、いずれ爆発する。

甲午戦争(日清戦争)から今年で120年。甲午戦争以降、日本は中国の発展を二度中断させた。日本が再び危険を冒し、中国の平和的発展を三度中断させる可能性はあるだろうか?歴史が繰り返されることはあり得ない。今日の中国は1894年の中国ではないし、1930年代の中国でもない。中国の軍と国民には、日本の引き起こす全てのもめ事や面倒を牽制する能力と手段がある。(編集NA)