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歴史を片時も忘れない理由
2014年 2月 28日17:14 / 提供:人民網日本語版

中国が抗日戦争(日本の呼称・日中戦争)勝利記念日と南京大虐殺追悼日を法制化するのは、情・理・法のいずれにおいても当然のことである。日本の政治屋はまた複雑な心境で落ち着かず、びくびくして意気消沈していることだろう。案の定、後手に回った日本は「中国が歴史包囲網を構築」と主張している。「包囲網」などの有無は、差し当り論じない。実情として、もし日本が歴史的な重荷を下ろさずに背負い続けるのなら、現実は芳しくなく、未来は憂慮されるものになるだけだ。(文:金採薇。人民日報掲載)。

安倍政治の持つ深い意味を知らず、頭を悩ませている日本人も少なくないのかもしれない。「前の世代の事はわれわれには関係ない」「69年経ったのに、なぜまだこだわるんだ?」と。

被抑圧者と抑圧者、被虐殺者と虐殺者とでは、感じ方が全く異なる。抑圧者は罪名を雪ごうと、故意に忘却することを選択する。虐殺者は死体の痕跡をなくそうと、歴史の改竄を図る。これもおかしなことではない。もし日本が侵略され、虐殺された国の人々の立場に立って、自分の父や兄が虐殺され、自分の妻や娘が強姦され、自分の国土が蹂躙され、自分の庶民が奴隷的に酷使されたと想像してみれば、なぜ中国人が片時も歴史を忘れないかを理解できるかもしれない。日本は広島、長崎への原爆投下を毎年思い出しているのではないのか?日本人は人間だし、中国人も人間だ。日本は忘れられないのに、まさか中国は忘れるべきだとでも言うのか?違うのは、日本の庶民を殺害した張本人は、まさに日本軍国主義だということだ。日本が発動した侵略戦争が、広島と長崎に壊滅的な災禍をこうむらせた。どの国であれ、戦争の被害者が共に強く非難すべきは軍国主義とファシズムであり、他の何ものでもない。

「国によってはあの歴史にもう言及しないのに、なぜ中国人はこだわりつづけるのか?」と言うかもしれない。そのような考え方は無邪気と言わざるをえない。あの戦争に対する被害国の反応には、地政学的状況や現実的利益を考慮して違いがあるかもしれない。言及を望まない、あるいは敢えて言及しないのには、それぞれ目的がある。だからといって、あの歴史が存在しないということにはならない。69年は言うまでもなく、数百年経っても、第2次大戦の歴史を消し去ることはできない。米国人が真珠湾攻撃とその後の太平洋戦争を忘れることはないし、東南アジアの一部の国も日本軍が彼らのふるさとを壊滅させ、彼らを奴隷的に酷使したことを忘れることはない。日本はかつて軍国主義国家であったし、敗戦国なのであり、戦後国際秩序の取り決めを受け入れなければならない。この事は時が流れても消し去ることはできない。

日本の菅義偉官房長官は「なぜ第2次大戦終結後69年たって国家哀悼日を制定するのか、日本側には疑問がある」と述べた。われわれは単刀直入に彼にこう告げることができる。今の世代の日本人が侵略戦争を発動したとは誰も言っていない。だがもし今の世代の日本人が歴史を顧みず、歴史を改竄し、過ちを認めないだけでなく、昔の軍国主義の幟を掲げるのなら、被害国の人々の憤りと警戒を招かないわけにはいかない。安倍首相の靖国神社参拝とA級戦犯の供養が、必ず世界の平和勢力に強く非難されるように。安倍首相は各国に説明をしたいと言い続けている。この弁解は日本人に向けて言うのは、まだ可かもしれない。だが被害国の人々に向けて言うのは、難しいだろう。この世界には日本だけでなく、多くの国がある。この惑星には大和民族だけでなく、多くの民族がいる。人を怒らせ、傷つけておいて、喜んで受け入れろと言うのは不公正だ。

侵略は侵略であり、歴史を直視する勇気を持ち、平和的発展の道を歩むことがより重要だ。理知で聡明な民族なら、失敗と没落から教訓を汲み取り、真摯で素直な姿勢で心を入れ替えることをわきまえているはずだ。過ちを隠蔽し、罪の招魂をするのではないのだ。後者なら夢でうなされるような悪名から逃れられないだけでなく、自己救済も難しくなる。中日関係をうまく処理するには、「歴史を鑑として、未来に向かわなければならない」と中国人は早くから指摘してきた。日本のような過去に不名誉な歴史を持つ国は、歴史について自らを全く省みないのなら、将来は恐らく面倒がさらに増え、安倍首相の望むような「強い日本を取り戻す」ことも論外となる。(編集NA)