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日本の歴史観の後退は国際社会から強く非難されるべき
2013年 8月 31日9:58 / 提供:人民網日本語版

 国連の潘基文事務総長は26日「政治指導者が正しい歴史認識を持って初めて、他国の尊敬と信頼を得られる」と述べた。この発言が伝わるや、日本の右翼政治屋は「中立」性を欠くと非難した。だが、国連自体がドイツ、日本、イタリアのファシズムに対する世界の人々の勝利の産物なのであり、国連憲章の趣旨は「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う」ことだ。したがって、戦争の歴史の根本的是非に関わる問題において、国連に「中立」を要求することこそが、問題視するに値するのである。(文:劉江永?本紙特約論説員、清華大学現代国際関係研究院副院長。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)  

 国連事務総長は根拠なく忠告を発したのではない。安倍首相は再任後、歴史観の問題で深刻な後退を見せている。靖国神社問題では、今年4月の春季例大祭では直接参拝こそしなかったが、祭具の「真榊」(まさかき)を奉納した。8月15日にも「自民党総裁」として、代理人を通じて「玉串料」を奉納し、形を変えた参拝を果たした。安倍首相のこの行動はアジア隣国や米国などの一層の非難をかわすためであると同時に、その歴史観にいささかも変化がないことをはっきりと示すものである。今年10月の秋季例大祭で安倍首相が靖国神社を参拝するかどうか、なお見守る必要がある。  

 それ以上に注視されるのは、今年8月15日に安倍首相が「全国戦没者追悼式」での式辞(略称「安倍談話」)で、歴史の加害者としての日本の責任と不戦の誓いに一言も触れなかったことだ。このうち、少なくとも以下の2点が日本政府の歴史観の深刻な後退を物語っている。  

 その一、「安倍談話」は1993年の細川護煕首相以来20年間、日本の首相が継承してきた8月15日の式辞の基調を根本的に改めた。細川首相は当時「アジア近隣諸国など全世界すべての戦争犠牲者とその遺族に対し、国境を越えて謹んで哀悼の意を表します」と表明。その後20年間、歴代首相はこの基調をおおむね継承してきた。

 だが安倍首相は今回、被害国の犠牲者に全く哀悼の意を表さず、その反対に戦場で倒れたり、戦後に異郷で死んだ日本人の「御霊」に対する「哀悼と感謝」の意を政府を代表して特に強調した。どうやら安倍首相が同日靖国神社で最も述べたかった話を、場所を変えて発表しただけのようだ。彼の追悼の主たる対象は、まさしく靖国神社に祀られているいわゆる「英霊」であり、これには海外で戦死した「皇軍」の亡霊や、戦後初期に国外で処刑された戦犯の亡霊が含まれる。だが、第2次大戦中の日本人の原爆の犠牲者、沖縄戦の死者、東京大空襲などでの死者は含まれていない。隣国の被害者が含まれていないことは、なおさらに言うまでもない。  

 その二、「安倍談話」は1995年の村山富市首相の8月15日の談話に取って代わる第一歩を踏み出した。「村山談話」は「(日本は)植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」との部分が柱だ。その後の歴代首相はいずれも「村山談話」の精神を継承すると表明してきた。この点は1998年の「中日共同宣言」にも盛り込まれ、日本政府の国際的約束となった。安倍首相は靖国神社を首相が堂々と参拝できるよう、「村山談話」の見直しを早くから望んできた。今回の「安倍談話」の意図はここにある。  

 「安倍談話」は、日本維新の会を除く日本の主要野党およびメディアに直ちに批判された。世界反ファシズム戦争勝利68周年にあたる今日、日本政府の歴史観の後退は間違いなく国際良識と国際秩序に対する公然たる挑戦であり、当然日本国民から排斥され、国際社会から強く非難されるべきである。

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