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ドイツは第二次世界大戦について謝罪しただけではなかった
2013年 1月 30日9:21 / 提供:新華社
 1月27日は一年に一度の「アウシュビッツ解放記念日」だ。ドイツのメルケル総理は談話を発表し、ドイツはナチスの犯罪行為に対して「永遠の責任」があると言明した。

 戦後アデナウアー首相(当時)がナチスの犯罪行為を公開の場で非難してから、1970年ポーランド・ワルシャワにおける「跪いての謝罪」、1990年ドイツ政府による公式謝罪文の発表まで、ドイツの指導者たちはユダヤ人虐殺に対して誠意をもって謝罪し、世界に強い印象を与えた。

 ドイツの謝罪は言葉だけに留まらず、行動として実行されている。ベルリンのシンボル、ブランデンブルク門周辺の地価の非常に高い中心地区にドイツ人はユダヤ人虐殺記念碑群を建設し、昨年には隣り合った公園にシンディー人とローマ人の受難記念園を建設した。記念碑群に立ち並ぶコンクリートの棺は後の人々に虐殺という残虐な行為がどれだけ恐ろしいものであったかを、悲劇を再演させてはならないことを訴えている。

 ドイツは謝罪だけに終わらず、国民の教育、法律の制定、金銭による賠償等各種の方法でナチスによる侵略の歴史にメスを入れている。このように歴史を正視し、責任を負い、反省する勇気ある精神は世の人々に尊敬されるに値する。

 ドイツはまたナチスの犯罪行為に一貫して賠償を行ってきた。例えばドイツはイスラエルに対して全部で700億ユーロの賠償を行っている。虐殺の生存者に対しては150億ユーロを賠償している。またこれからも賠償金の支払いを継続するという。この他にドイツ政府は積極的に戦争労役を使用していた会社と協議して被害者に賠償を行っている。

 領土主権問題におけるドイツ人のやり方にはさらに感服させられる。1990年東西ドイツが統一した際、「敗戦によって割譲されたオーデル・ナイセ線東側の領土を一切要求しないで、それがプロイセン起源の地であったことにもかかわらない」と正式に宣言した。

 ドイツ人が勇んで反省し過去を再認識することはその戦後の国民教育によるのだ。ニュルンベルク裁判によりナチスの残虐な行為がこの世に明らかにされ、また多くの真相を知らないドイツ人を翻然と目覚めさせることにもなった。この後、ドイツでは教科書から着手しており、人々に子供の頃からナチスの残虐な行為とドイツのその不名誉な歴史を認識させているのだ。

 ドイツの教育法は、歴史教科書ではナチスの残虐な行為に関する歴史的内容を必ず掲載しなければならず、また教学の重点としなければならないと明確に規定している。学生のナチスにおけるイデオロギーと戦う思想観念を育成することは、すでに学校教育の主な目的として明確に組み入れられている。ドイツはまたフランス、ポーランドなど隣国と歴史教科書を共同で編集し、相互信頼を深めている。2006年にはフランスとドイツが共同編集した高等学校の歴史教科書が刊行され、中には第二次世界大戦(二戦)時のナチスドイツによるフランス侵略・占領などの内容が盛り込まれている。

 ドイツは言論の自由を尊重する国だが、一つ触れてはいけないタブーがあり、それがナチスを宣伝してはいけないということだ。ドイツの法律ではナチスの宣伝と人種的憎悪を厳しく禁止し、ネオナチは重罰に処されるという。1994年、ドイツ議会が可決した『反ナチスと反犯罪法』では、いかなる形式によるナチス思想の宣伝も行ってはならず、ナチスのシンボルやスローガンの使用を厳しく禁止し、ドイツのウェッブサイトがナチスのシンボルとスローガンの使用を禁止し、ナチスによる大虐殺を否定するいかなる発表を行った者でもみな厳罰に処されることになっていると定めている。

 ドイツでは、二戦の悲痛な歴史に対して、罪を認め、反省と銘記を行うことは、早くから社会の主流なコンセンサスとなっており、また学校教育と法律の2つを同時に進めることで、真に人の心に深く入り込んでいる。ドイツの心からの謝罪はその歴史的負担を解き放ち、欧州各国と本当の和解を実現し、ドイツとフランスが共に欧州一体化した指導者とならしめ 、隣国はこれによるパニック或いは懸念は引き起こしてはいないのだ。 

 比較してみると、同様に二戦での侵略者である日本はドイツとの距離がはなはだ遠いのが容易に発見することができる。今となっては、日本は最低限の侵略の史実さえ「しらばっくれて 人をだます」をしたがっており、姿勢の謝罪さえ望んではいない。こうであってはどうやってアジアと融合し、理解を得て、信頼を得ることができようか。