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日本経済は今後も没落を続けるのか?
2012年 10月 17日10:21 / 提供:人民網日本語版

 今の30歳以上の大多数は、高校・大学・大学院で勉強する際、日本の情況がとてもうらやましいと感じてきた。ここで言う日本というのは、より精確に言えば「日本国」という地理的な概念ではなく、この国の経済、すなわち「日本という企業」のことだ。

 多くの本が次のように指摘している。「日本は1発の銃弾も使わず米国に打ち勝つことができる。制造業とエンジニアリング産業で西側諸国を追い越したからだ」。ビジネススクールの学生は誰もが、一夜にして名声を手に入れた日本の経験を学ぶべきだ。第一財経日報が「The Great Crash Ahead」(ハリー・S・デント・ ジュニア著)を引用して報じた。

 ▽デフレの中でもがく日本経済

 日本は第2次世界大戦の廃墟の中から立ち上がり、1980年代にはすでに世界第2の経済体へと成長した。当時、日本が米国を追い越すのは時間の問題だ、日本は米国債を大量に掌握し、発展の道を歩き続けるのだろうと誰もが考えていた。経済の「運」が西側から東方へと巡ったかのように思えた。しかし、物事は突如として変化する。

 1989年以降、過去数十年間にわたる日本の負債調達と過熱する不動産市場のツケが次第に現れてきた。1990?1992年にかけて、日本の不動産バブルは崩壊し、銀行の貸借対照表(バランスシート)は悪化の一途をたどった。日本政府は最初、「臭い物には蓋をしよう」と試み、金利を下げ、国民には「万事問題なし」と伝えていたが、実際のところ事態は深刻だった。不動産価格が下落した後は、金利と貸付が低下し、さらに商業活動と消費が落ち込んだ。日本はデフレに陥った。政府の貸借や救済計画は何の足しにもならなかった。さらに、日本の人口発展がすでに死角に入ったことも明らかだった。

 この小さな島国は、1940年代の終わりにベビーブームを迎え、60年代は貧困に苦しんだ。そしてベビーブームから約46年後の1992年頃、経済は坂を下り始めた。たとえ日本の人口の変動幅が小さかったとしても、この発展の法則から逃れることはできない。不動産を主とする日本のバブルは最終的に信用恐慌に発展し、90年代初期の日本の景気後退を招いた。それから20年後を迎えた今日、日本は未だにデフレの苦しみにあえいでいる。

 この時代に育った日本の若者は、幼いころから価格の低下や就職難を目にしてきた。政府は若者の金と教育費を高齢者福祉に充てた。政府債務残高のGDP比率は200%に達している。

 JMR生活総合研究所のの代表取締役、松田久一氏は、日本の70年代後半?80年代前半生まれの世代のことを「嫌消費世代」と呼ぶ。彼らのひとつ上の世代がナイトクラブやカラオケで湯水のごとく金を使い、ナイトライフを謳歌してきたのとは対照的だ。「嫌消費世代」は幼いころから下がり続ける価格を見て育ってきた。彼らにとって、消費とは「愚かな」行為なのだ。大金をつぎ込んでマンションを買い、10年後にその半額以下で売り払う人を、彼らは冷たい目で見てきた。日本の現在の平均住宅価格はすでに1983年のレベルにまで反落している。職場は定年退職を待つひとつ上の世代によっていまだ占有されており、就職の機会は少ない。希望にあふれた若い卒業生達は、収入がわずかで福利厚生も無い仕事しか見つけられず、あるいは海外移住を迫られている。

 下がり続ける資産価格、増えないどころか減ることすらある給料、急激に進む老齢化が日本のデフレを形成し、日本人の生活を徐々に蝕んでいる。

 2008・2009年の時点において、日本は先進国では唯一のデフレ経験国であった。日本政府が経済の流れを変え、短い時間で成功を収めたとしても、人口発展の流れに逆らうことはできない。

 日本の人口の大部分が支出のピークの時期に達したころ、不動産価格は一気に頂点に押し上げられた。このため、たとえ世界が1990・2000年代にかけ勢い良く発展を続けても、日本経済はデフレによって没落を続けたのだ。

 ▽今後も脆弱な日本経済

 日本人は声を大にしてスローガンを呼びかけることは少ないが、とても倹約家になったのは確かだ。日本のライフスタイルにはすでに明らかな変化が生じているが、日本経済は今なお果てしない道の上で苦しい模索を続けている。政府債務残高は減らず、預金金利は下がる一方、そして急激に進む高齢化により、政府の福祉支出は日増しに増加する。

 「ニューヨーク・タイムズ」に最近掲載された記事によると、ある日本人は17年前、50万ドルでマンションを購入した。当時不動産バブルはすでに崩壊し、価格は下がり始めていたが、谷底に到達するのはまだまだ先だった。17年間ローンを支払った今も、まだローンの残金11万ドルを返済できていないという。この人はおそらく破産に直面するだろう。

 日本の今のGDPはなんと、22年前の1990年をわずかに上回る水準だ。日本は1990年のバブル崩壊以降、持続的にGDPの2倍以上に相当する額を刺激策として投じてきた。米国の情況で換算すれば、15兆ドルに相当する。それでも日本の株式市場は80%下落し、不動産は60%下落した、20年後の今も、日本経済は依然として断続的で緩慢な成長と衰退の間を行ったり来たりしている。

 市場救済措置で一時的な痛みは緩和できるが、債務はどんどんかさむ。今や日本は先進国の中で借金額が最高の国となった。このほか、日本は高齢化のスピードも最も速い。

  民間債務は一度に帳消しにできるわけが無い。このため日本の社会システムには大量の「毒素」が蓄積しており、さらなる消化が必要だ。

 覚えているだろうか?かつてネットワーク技術とその株が相次いで下落したころ、人々は皆、「不動産に投資すればいいじゃないか、不動産は価格がずっと上昇し続けている唯一のものだ。しかも不動産はどんどん少なくなるじゃないか」と考えた。80年代の日本人もこのように考えたのだ。しかし我々はバブルの存在を忘れている。

 どうして日本政府は銀行に対し、債務残高を許容範囲にまで引き下げることを許さないのか、あるいはそれを強制しないのだろう?彼らはただ、苦痛を伴う「薬物依存症からのリハビリ」を体験したくないだけなのだ。当時バブルをほったらかしにしていたことが愚かだったと認めたくないだけなのだ!

 いかなる国の政府もバブルを阻止できるし、老後のために貯蓄しないよう高齢者を説得することはできる。しかし一方で、このプロセスを長引かせ、苦痛を一時的に緩和することもできる。但しその代価は悲惨だ。20年前の日本の経済状況がその証拠だ。

 日本経済は依然として脆弱であり、政府債務残高と負債比率は年々上がっている。80年代に巨大な不動産バブル・債務バブルの崩壊を体験した日本が、無理やり大がかりな債務再編を行ったとしても、日本に対する歴史的評価が高評価に転じることはありえないだろう!(編集SN)