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中国の「台頭」は21世紀における最大の出来事(7)=成玉麟氏
2012年 5月 18日8:17 / 提供:掲載元:サーチナ
計23カ国、250人の政府関係者が集った「アフリカ・中国の貧困撲滅と発展に関する国際会議」
121年ぶりに世界第2位の経済大国に復帰するまでの道
導入部「アフリカ大陸の新地平線」

 

 2010年11月1―2日。エチオピア首都アジス・アベバ。

 African Unionを構えるこの「アフリカの政治首都」で、中国国際貧困撲滅センター、国連、エチオピア政府が、「アフリカ・中国の貧困撲滅と発展に関する国際会議」を共同主催した。初日の開会演説に世界各大陸から集った23カ国の出席者が、耳を傾けた。

 演壇で、エチオピアのMeles Zenawi首相が、スピーチを行っている。

 「アフリカの最も致命的な疾病は、マラリアでもなければ、HIV/Aidsでもない。貧困という名の病気は、この大陸の最大でもっとも致命的な疾病である。」

 「我々が強いられてきた貧困との戦争に立ち向かう為には、その戦いに既に成功をおさめた国から学ぶのは、アフリカ人の我々にとって至極当然なことであり、この面で中国国民ほどうまくやり遂げたものはいない為、そのやり遂げたことを学ぼうとするのは、我々にとって至極自然なことである」と、同首相が出席者に向けて語り掛けた言葉に、中国の貧困脱出協力に対する厚い信頼と期待を込めていた。

 その背景には、半世紀以上にのぼる中国とアフリカ諸国の貧しい兄弟のような、戦友のような歴史があった。

 時は1950年代。16世紀から400年以上も続いた欧州列強による植民地支配下から、アフリカ諸国が、立ち上がった。その民族独立解放運動に対し、1949年に建国したばかりの中国は、その時、極貧の状況にいながらも、それを支援し、アフリカ諸国独立後も、様々な無償援助活動を行った。

 2010年12月と2011年4月に中国政府が発表した「中国とアフリカの経済貿易協力」、「中国の対外援助」白書から、これらの援助活動の全容が明らかとなった。
上記二つの白書によると、

 1956―2009年の間に、中国の対アフリカの援助は、同大陸の54カ国中51カ国にのぼり、ドナー国として、独自または、国連や2000年に誕生した「中国−アフリカ協力フォーラム」などを通じて後発途上国と低所得国に対する援助は、全体の3分の2に達する。

 援助分野も、学校・医療施設の建設支援から、農業生産技術の指導による食料自給率の向上、産業開発振興、インフラ整備、相互投資、輸出入の与信金融支援、債務・関税免除、雇用創出と各種の関連人材の教育まで多岐に亘る。

 中国とアフリカの貿易額は、2010年には1269億ドルに達し、対アフリカ投資は、100億ドル強となり、投資先も49カ国以上に拡がった。

 かかる「南南協力」は、現在国連加盟国がMDGs(ミレニアム開発目標)の達成に向けてのプログラムの一環ともなった。その中、中国国際貧困撲滅センターは、本来中国政府によるアフリカ支援の専門機関であったが、現在国連、世界銀行、イギリス政府機関(DFID)、アジア開発銀行(ADB)の共同参画を得て、支援対象をアフリカからアジア等へと拡大している。

 20万年前の人類の祖先であるホモ・サピエンスが、エチオピアで発見されて以来、人類が地球上最初の地平線を迎えたこのアフリカ大陸は、2010年と2011年の実質GDPの成長率が、4.9―5.5%に達し(IMF)、今後も、紆余曲折は避けられないが、経済の拡大成長が見込まれる有望な大陸となってきた。

 そうした中、南アフリカ大陸の代表である南アは、2011年4月に中国海南島で行われた第3回BRICs首脳会議に加わり、「BRICS」メンバーの一員として、世界政治経済の新勢力図の地平線上に登場した。(執筆者:成玉麟)

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